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リリーさんが助けてくれた

翌日。

8月11日は、すべての予定をキャンセルしました。

ニュースは、全国に流れました。あれほどの火事でしたが、亡くなった人はいなかったようです。怪我人も出ませんでした。

昭和館をずっと応援してくださっていた方々、仲代達矢さん、奈良岡朋子さん、栗原小巻さん、光石研さん、岩松了さん、片桐はいりさん、吉本実憂さん……。映画監督の平山秀幸さん、タナダユキさん、片渕須直さん、江口カンさん、松居大悟さん……。作家の村田喜代子さん、田中慎弥さん、福澤徹三さん、町田そのこさん……。

もう数え切れない方々から、ご連絡をいただきました。

祝日なので、主人も家にいます。息子と3人で、旦過に行きました。

日中は、うだるような暑さでした。空は曇りがちで、あたりは蒸しています。雨が降らないのも、幸いでした。

瓦礫の残骸が、積み上がっています。35ミリの映写機は、2台とも焼け残りました。たとえ瓦礫になったとしても、昭和館が存在した証です。愛着がないはずがありません。

チケット売場のあたりが、かろうじて形状を留めていました。残骸からガシャガシャと引き下ろされているのは、「昭和館①②」のネオンの看板です。

ニュース映像を見ていたリリー・フランキーさんが、すぐに連絡をくれて、「あのネオンだけは、残したほうがいい」と助言してくれていたのです。

リリーさんは、北九州で生まれています。昭和館80周年のお祝いには、こんなメッセージを寄せてくれました。

「自分の両親や、祖父母、世代を越えた様々な人々が、ここで笑い、涙したことを想像するだけで、この場所が愛しくなる。これからも、ずっとあり続けてほしい場所」

あのネオンを、瓦礫にしてはいけない。

わたしは走って、作業している人たちに訴えました。

「すみません!あのネオンの看板が、うちの象徴なんです。あれだけは取っておいてほしいんです」

路地を照らしていたネオンは、見る影もありません。二度と光ることはないでしょう。それでも瓦礫と思えませんでした。

顔見知りの警察官の口添えで、初めて現場に入りました。

「昭和館」の3文字が赤、「①」が青で、「②」が緑。この「昭和館①②」の看板を、取り外してもらいました。

火事になる前の昭和館 ネオン管が光っている
火事になる前の昭和館 ネオン管が光っている
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想像以上の大きさでした。

「チケット売場」の表札も取り外しました。これだけは家に持ち帰りました。

耐火金庫も出てきました。

「いまだったら、開けてあげられる」と重機の人が言ってくれたので、お願いしますと頼みました。

すごい音で、ショベルをガンガンと打ち付けます。耐火金庫のコンクリートと鉄の間から、保護している砂が大量に出てきました。それを何度か繰り返して、ようやく中身を取り出せました。

金庫にあったのは、お稲荷さんの預金通帳でした。映画館の隣りにあって、お預かりしていたのです。次の日には銀行に行って、通帳を新しくしてもらいました。

ほんのわずかですが、売店の売り上げや、アルバイト代も出てきました。昭和館のネオンは、瓦礫の片隅に置かせてもらいました。