#2 本宮ひろ志×江口寿史にとっての女とエロと漫画はこちら

デビューして最初にもらった原稿料は100円でした(本宮)

江口寿史(以下、江口) 本宮先生とお会いするのは10年ぶりくらいですかね。
50年くらい前のことを思い出すと、当時活躍されていた、ちばてつやさんとか横山光輝さんなんかの先生方はすでに巨匠という印象で、本宮ひろ志という人は僕にとってはその登場を目の当たりにした初めての漫画家さんだったんですよ。

僕、中一でしたけど、突然、本宮さんが「少年ジャンプ」誌上に登場した。「この人、何?」という感じで、すごい超新星が出てきたと思って。絵柄もこれまでに見たことないというか、すごく異質でしたしね。

絵を見ると、出自といいますか、この人は誰々に影響を受けたな、みたいなのは大体わかるんですけど、それも全然わからなかったんですね。

本宮ひろ志(以下、本宮) 下手だったんですよ。

江口 いやいや、下手とは違うんです。

本宮 もともと漫画家になる気は全然なくて、ジェット機のパイロットになりたくて自衛隊にいたんですけど、それがなぜかこうした違う世界に入っちゃって。
自衛隊を辞めるときに「おまえ辞めて何やるんだ?」と聞かれて、とっさに「漫画家になります」って言っちゃったんだよ。漫画描いたことないのに(笑)。そこから始まったから。

江口 漫画少年っていう感じではなかったんですか?

本宮 全然違いましたね。なんせ千葉で生まれて、育ったところが新小岩ですから、それはもう劣悪な少年時代で(笑)。中学生時代は朝起きてまず商店街に落ちてるお金を拾いにいくんです(笑)。その頃のことで覚えているのはろくでもないことしかないですね。

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江口 「少年ジャンプ」が漫画家へのきっかけじゃなかったとか?

本宮 そうですね。当時、貸本屋の本を出してた「日の丸文庫」という出版社があって、そこに原稿を持ち込んだりしてたんですけど、そこでは水島新司さんとかがメインで描いていたんです。

それで彼が野球のチームをつくることになって、最初は外野でボール拾いをやらされてたんですけど、俺、野球部にいたから、コロコロってきたボールをそのままワンバウンドでバックホームしちゃった。そうしたらほかのみんなは漫画家ですから、口ポカーンと開けてるんですよ。

それで水島さんがすっ飛んできて「おまえ、うちのチーム入れ」って。
「でもこのチームは漫画家で編成してるんでしょう?」って聞いたら、「そらそうだ」と言うんで「じゃあ、俺をデビューさせてくれ」って頼んで(笑)。

江口 水島先生は恩人というか。

本宮 そうですね。デビューして最初にもらった原稿料は100円でした(笑)。

江口 誰にも教わらずに描いてるわけじゃないですか。それもすごいですね。

本宮 漫画家になるって旗を自分で立てた瞬間、何をやればいいのかとなると、短絡的にただ漫画描きゃいいんだと思って。

今の若い人たちの中で何をやっていいのか見つけられないっていう人も大勢いると思うんですが、何でもいいから旗を立てればいいんですよ。俺はたまたま“漫画家”っていう旗を立てたんで、とりあえず暇を見つけちゃ漫画を描いてた。
それで最初に出来上がったやつを講談社の「少年マガジン」に持っていったんだけど、読んでくれないんですよ。パラパラめくって「ダメだね」って一言で(笑)。
そこからのスタートですから。デビューした頃から今でも下手ですけどね。

江口 いや、そんなことないです。僕らの頃は漫画家になろうとしたらいっぱいお手本があったから、いろんな人の真似をして描いてたんですけど、それもほとんどない時代ですもんね。

本宮 そういうのは、あんまりやらなかったですね。