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「責任を取る」とはどういうことか

 私は古典好きで、マックス・ウェーバーやジャン=ジャック・ルソーをよく読みますが、政治家に必要な要素って、情熱と判断力と、そしてもう一つ重要なのは責任感だと思っています。

子どもを守る政治「明石モデル」をまねる自治体が増える一方、それらが市民に響かない本当の理由 泉房穂×安冨歩_1
安冨歩氏
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安冨 責任を果たすという意味ですが、日本の場合、すぐ辞任するということになる。でも、辞任したって責任取ったことにはならないですよね。起きた事態に対して、よいほうに導こうという責任の取り方もあると思うんですが。

 私が4年前にいわゆる辞職したときに、会見で責任を取るという2文字を使いました。でも、署名が集まって立候補するときも同じ責任の2文字を使いました。記者からの「責任は?」という追及を受けて、私には二つの責任があると答えた。一つは、自らの不祥事、言動に対する責任。もう一つ、もっと大きな責任は市民の期待に応える責任であると。どちらが重たいかというと、市民の負託に応える責任のほうだ。だから私は市民への責任を優先しますと言いました。

安冨 それが本来の責任の取り方だと私も思います。

 4年前に私が再立候補して戻ったときに、市役所職員から、市長さんはいろいろあったんだから、これからはちょっとスピードを落として無難にやりませんかと言われました。私は何を言っているのかと、あんなことまでやって責任取って辞めた人間が市民への責任を果たすために戻ってきたのだから、これまで以上にスピードアップして市民のためにやらないでどうすると。

それで、養育費の立て替え、インクルーシブ条例、優生保護法の条例も含めて、これまで半ば諦めていたテーマにも取り組んだ。コロナのときにわずか2週間でテナント料を振り込んだときも全部そうです。市民のために責任を果たすんだという強い思いがあったからこそできたことだし、市役所職員にもそれが伝わったからこそ一つの組織として、市民への責任を果たせたんじゃないかと思います。
 
安冨 責任をどうやって果たすのかを考えると、まず市民、企業であれば顧客ですよね。その人々が何を求めているかを理解して感じ取り、聞き取り、そのために自分たちの在り方を変えてそれを実現する。このサイクルがちゃんと維持できるかが、責任を取れているかどうかの指標になると思う。聞く力といいつつ岸田さんは、その回路が切れていますよね。勝手に自分が考えたことを市民の願いだと考えて実現する、情熱を傾けるような政治家が多いんですが、泉さんの場合は、現実に存在する人々の声をちゃんと聞き取ることが大前提としてある。

 責任を取る対象はあきらかに市民なのに、意外とそう思っている人は少ないんですよ。市議会議員への責任という発想の市長が大変多いし、総理大臣は、直接国民に責任を負わずに、国会議員に選ばれているのでかなりずれている。本当に国民や市民を見ていないなと感じます。見るべきは市民なんですよ。

私は結果に責任を負うことが政治だと思う。だから市民が腹いっぱい飯を食えるという責任、悲しい思いをしないですむ笑顔に対する責任があると思っています。市役所の職員にも心はあるんですから、子どもにご飯届けて喜んでもらえたり、市民の本気の笑顔を見るのはうれしいし、仕事が遅くなっても頑張ろうと思ってくれる。「本気の市民のため」の大義があると、最終的には議会も予算案を通してくれて、条例も可決に至る。私としては実感として、人間捨てたもんじゃないと思います。