新作長編『最愛の』を刊行したばかりの小説家の上田さんと、数ヶ月前に新譜『Camera Obscura』をリリースしたPeople In The Boxの波多野さん。上田さんの芥川賞受賞作「ニムロッド」がPeople In The Boxの「ニムロッド」からインスピレーションを受けていたことから対談で知り合い、その後東京と香川という距離がありながらも、折に触れて会うように。

今回、お互いがコロナ禍の期間に制作していた作品を発表したということで、上田さんは、普段は面と向かってなかなか話さない「創作についての話」がしたいと、波多野さんに声をかけました。このパンデミックの数年、二人の創作者は何を考え、作品は、創作の姿勢は、どう変化したのでしょうか――。


撮影/神ノ川智早 構成/編集部 (2023年8月10日 収録)

上田岳弘さん(作家)が波多野裕文さん(ミュージシャン)に会いに行く【前編】_1
左・上田岳弘さん 右・波多野裕文さん
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コロナ禍における創作で考えたこと

上田 People In The Box、約3年半ぶりにアルバムが出ましたね。僕も『最愛の』はコロナ禍の期間を通してずっと書いていたので、制作期間がかぶっています。

波多野 上田さんは創作のペースに変化はありましたか。僕はアルバムのリリースが今までで一番空いたので、やっぱりコロナの影響はあったと思います。

上田 僕はむしろ増えた感じが(笑)。ちょうど連載を2本並行することになったり、短編を書いたり、加えて戯曲も書いたりしていましたから。

波多野 今回の『最愛の』の内容に、コロナは影響したと思いますか?

上田 思いますね。たとえば作中に「三密」とか書いていたりします。むしろ、「みんなその内忘れていくだろうな」と思ったことを活写しました。人って、半年前のことはぎりぎり覚えているかもしれないけど、1年前の細部って覚えてないじゃないですか。

波多野 本当に忘れます。

上田 だから、その空気感も含めて書いておきたくて。

波多野 人って軽薄ですよね。もちろん僕も含めて。かといって、コロナ前はそうじゃなかったかというと、実は元からあった軽薄さですよね。正しいかどうかよく分からない情報を真に受けて振り回される人間の浅はかさが、コロナ禍の期間に一気に表面化したということだと思うんです。
僕が書いているPeople In The Boxの歌詞は結構フィクショナルで、特に最近は、主観で感情を語るというより、もっと俯瞰で描いているので、ある意味、この数年は題材になりそうな分かりやすいモチーフが目の前に現れたなという感じではあります。

上田 この期間に、テロや戦争、新しいワクチンなどがありましたからね。謎の施策もいっぱい打たれました(笑)。People In The Boxの今回の新譜は、コロナで表面化してきたものを俯瞰して見た上で歌詞に落とし込んでいましたが、音としては、今までにもましてポップ寄りな印象で、その乖離が皮肉に映りました。

波多野 コロナによって思いがけず時間ができたので、スケジュールがコンスタントに埋まる時期とは違ったことをしたいなと自然に思い、基礎的な練習をしたり、「自分はなぜ歌詞を書くのか」ということを考えたりしていました。突き詰めると、自分は「少しでもいい世の中になればいい」と思っていることが分かったんです。ちょっと大げさかもしれないですけど、自分の音楽が人の意識にちゃんと働きかけるようなものになればいいなって。それは、聴けばすぐに人の行動が変わるというものじゃなくて、毎日食べるご飯にサプリを混入することでゆっくり体に変化が出るように、ちょっとずつ人の心が変わっていくようなものだと思っていて。
 僕は、音楽家としては、1曲で多くの人の気持ちや考え方を変えるというよりも、ちょっとずつ変えるタイプだと思うんです。だから、自分の音楽を実際そういうものにするにはどうしたらいいか、曲の強さとそこに乗る歌詞がどう密接に関係して人の耳に入っていくかを、ずっと考えてました。だから、今回のアルバムでは、歌詞が分かりやすいと言う人もいれば逆に分かりづらいと言う人もいて、はっきり2つに分かれましたね。

上田岳弘さん(作家)が波多野裕文さん(ミュージシャン)に会いに行く【前編】_2
波多野裕文さん

上田 分かりやすいか、分かりにくいか、そういうパラメータで捉える内容じゃなかったと思います。イメージをメロディに乗せて歌詞を書いたというより、ご自分の中でかちっとしたテーゼができつつあって、それを歌へと練磨しているような印象でした。

波多野 もしかすると、一番聞き手のことを意識して作ったアルバムかもしれない。僕は、「何で自分はみんなと意見が合わないんだろう」と思っている人が多数派である世界を、今誰もが生きていると思っているんです。それもあって、たとえばインターネットの情報やSNSなどが喚起するのとは違う形の共鳴を感じられるものにできたらと考えました。それには創作が一番効力を発揮しやすいのかなと思っているんですが、僕は上田さんの小説にも、同じ志向をすごく感じます。

上田 実は『最愛の』も、読者に伝える、届くということをかなり考えた作品ではあります。2019年刊の長編『キュー』あたりまでは、自分がやりたいこと、自分が表現したいこと第一主義だったんですけどね。

波多野 具体的には、今までとどういう創作上の違いがあったんですか?

上田 単純に、文章を読みやすくする工夫がまず一つ。加えて、意味を捉えやすいように改行するとかスペースを空けるとかいった体裁を調整したり、エピソードの順番が伝わりやすいように全体の構成を組んだりということも結構やりました。あとは、ここでバッと文章を切った方がクールなんだけど、伝わり切らない可能性があるのであれば、多少蛇足ぎみに見えたとしてもちゃんと書くとか、そういうことです。

波多野 それって、技術ですよね。

上田 そうなんですよ。技術を、遠くに行きたいとか新しいものを書きたいという方向だけに使うんじゃなくて、届けるとか分かってもらうとか、そっちの方向にも使いたいと思いながら書いたんです。

波多野 めちゃくちゃ分かります。People In The Boxでは他があまり扱わないことを表現しようとするときに、どうしても複雑な、ややこしいことをやらざるを得ない場合があって、そこを突破して伝わりにくいことを伝わりやすくするには技術しかないという結論に至ったんです。

上田 コロナ禍のあいだ、基礎練をし思考した結論として、そう思ったと。

波多野 そうです。ひたすら練習してましたね(笑)。

上田 People In The Boxはライブバンドという側面が強くなってきていますが、この数年間は、チケットを売ったけどライブが開催できないとか、席を間引いて売らなきゃいけないという状況が多かったですよね。それに関していろいろ考えることはあったんじゃないでしょうか。

波多野 同じ音楽業界にいるから他のバンドの状況もよく分かってしまうんですけど、ライブハウスで観客とともに密になって盛り上がり全員で一体感を得るというバンドにとっては、言葉を失うぐらいの痛手でした。それに比べると、僕らは、多くのお客さんが来てくれていても、それぞれと一対一で個別に向き合っているような感じなんです。といっても、お客さんとの関係が隔絶されているかというと全くそんなことはなくて、お客さんの集中力と僕らの演奏が対峙している。何か演出があるわけではなくて、シンプルにただ演奏するだけではあるんですけど。だからコロナ禍で、自分たちが舞台芸術に近いバンドだと強く認識しました。