【幼少期の写真あり】ラブライブ声優・青山なぎさが綴る、声優になるまでの人生。教師に対抗するために入った軽音部、いじめと戦った日々_2
高校3年生の文化祭の頃。部活着で友達と記念撮影

バレエから、大嫌いだったバレーに転向

厳しい環境が当たり前だと思って過ごしてきたので、高校では学校で一番厳しい女子バレーボール部に入部しました。

その高校には知り合いの先輩が何人かいたのですが、私がバレーボール部に入ると伝えると、口を揃えて「絶対やめた方がいいよ」と言われていました。誰ひとりとして、いいじゃん!と言う人がいなかったので、逆にそこまで言われる部活ってどんなもんだ?と面白くなっていました。

ちなみに私がバレーボール部に入部しようかなと思ったきっかけは、バレーボールが嫌いだったからです! レシーブをするときに腕が痛くてアザができるし、体育の授業で唯一バレーボールだけ苦手意識があったので、それを克服したかったからです。我ながら意味がわかりませんね。今となっては理解できません。

そんな謎の理由でバレーボール部に入ろうとした私ですが、絶対に入ると決めたのにはもうひとつ別のきっかけがありました。

高校受験当日、私は緊張で震えながら受験会場を歩いていたところ、「大丈夫? 緊張してる? 自信もってね!」と在校生に話しかけられました。なんだこの優しい女神は……!と一気に心が温かくなりました。

その方は女子バレーボール部の先輩で、受験生の案内をしていたのです。そのときの対応が素晴らしすぎて、私もバレーボール部に入ってこんな先輩になりたい!と思い入部を決意しました。

女子バレーボール部は、バレーボールはもちろん、勉強もしっかりやる、そして学校説明会の設営、文化祭の見回りなど、学校の活動にも積極的に貢献する部活でした。だからこそ、私の知り合いの先輩たちは、青春したいならバレー部はやめた方がいいと根気強く言ってきたのでした。

案の定、厳しい部活だったので辞めていく人もいましたが、私にはこのくらい過酷な環境の方が向いていると感じていました。