――かつて取材していた頃の栗城さんとは違う彼がいたのではないかと考え、それを知りたくなった、ということですね。

河野 初期の頃からテレビ界の人間はみんな栗城さんに注目していました。僕も、すごい男だなと思って番組を企画しました。僕自身も含めて一般メディアは、本当に登山界の新星で、もしかしたら高い確率でエベレストに登ってしまう人間かもしれないな、と考えていたと思います。

一方で、裏も取らなければと思って、日本ヒマラヤ協会などに取材をしていく中で、「そう甘いもんじゃないよ」といった言葉に触れる機会もありました。また、彼の言動の矛盾やおかしな点にも、密着取材の途中で気づかされました。

2009年に行われた1回目のエベレスト挑戦で登頂できなかった時の様子を見て、「これは厳しいんじゃないかな」ということは素人の僕でも感じました。僕は本当に彼に勢いがあって、上り調子の時に撮影をさせてもらったと思うんですけれども、番組取材終盤の2年目になっても、その後の彼が良い結果を残すとは思えなかったですね。

それからは取材トラブルが生じてしまったこともあって、特に彼を追っていなかったんですが、凍傷で手の指9本が真っ黒になってしまったことをブログで知った時には驚きました。

あれを見たら、普通であれば引退するだろうと思うし、多くの方もそう思ったのではないでしょうか。だからこそ訃報に触れた時、まだエベレストに登り続けていたんだ、というのが本当に不思議でした。何が彼を最後まで駆り立てていたのか、追いかけてみたくなりました。

[CopyPost]転載記事用:集英社新書プラス/「異色の登山家」栗城史多氏をなぜ追ったのか『デス・ゾーン』著者・河野啓氏インタビュー【前編】_4

――ノンフィクション用の取材を通して、栗城さんに対する見方やイメージは変わりましたか。

河野 それは確実に変化しましたね。再び取材を始めた当初は、当然ですがあまり良い印象は持っていませんでしたし、取材を進めても深まるものが無くて、手応えを感じられず虚しいまま終わるんじゃないかという心配もありました。

ただ、取材をしていくと、栗城さんはごく限られた人に、時々ですが弱音や苦悩を垣間見せていたことがわかりました。それで、今まで知られることがなかった彼の一面に迫れたかな、という手応えが得られたんです。