コンビ結成のきっかけとなった芸人
——キングオブコントのファイナリストになったことで、その後、環境に変化はありましたか。
有馬 僕らの中では、めちゃくちゃありましたね。テレビのネタ番組に呼ばれたり、あと、ルミネ(新宿・ルミネtheよしもと)の本公演に立たせてもらったり。
——今、ルミネの舞台に立つのは、かなりハードル高いですもんね。
有馬 若手が出るのはなかなか。
太田 東京吉本の若手は基本、渋谷の「ヨシモト∞(無限大)ホール」なんで。たまにルミネに出られるんですけど、夜の、本公演とは別の公演がほとんどなので。ルミネの本公演というのは滅多に出られないんです。
——土日の本公演ともなると、ほとんどのメンバーがM-1かキングオブコントのファイナリストで、錚々たる顔ぶれになりますもんね。
有馬 同じ香盤(出演者の出番時間が書かれた表)に中川家さんとかの名前があるのが本当に嬉しくて。
太田 僕ら6、7年ぐらい前にルミネの前説を1年間で100ステージぐらいやらせてもらったことがあるんです。それでやっと、幕の前じゃなく、幕の後ろでネタができて。それこそジャルジャルさんが袖にいて、見てくれているのとかも感じつつ。
太田 福徳(秀介)さんの笑い声とかが聞こえてくるんですよ。
有馬 あれはちょっとしびれましたね。
——2人がコンビを結成したのは、ジャルジャルが一つのきっかけになっているんですよね。
太田 僕らは宮崎出身なんですけど、高校が一緒で。2人ともラグビー部で、そのときから、高校卒業したら一緒にお笑いをやろうと言っていたんです。でも有馬の両親が大学だけは行って欲しい、と。
有馬 それで僕は鹿児島の大学に入って、太田は一浪して京都の大学へ行ったんです。でも途中で、大学4年間は長いな、と。
太田 有馬と電話で話しているときに、僕が関西でめっちゃおもしろい人を見つけたぞって言って、そうしたら有馬も俺も見つけた、と。それが2人ともジャルジャルさんだった。そこで話が盛り上がって、勢いで大学を辞めて、東京NSCに行こうということになったんです。僕が2年生で、有馬が3年生のときでしたね。