里帰りさせる条件は厳しかった…

そこで小林代表は運送費用を集めるためにクラウドファンディングをスタートする。そもそも九五式軽戦車の購入資金に1億円ほどが発生しており、その多くもクラファンで調達した資金だった。

「幸いなことに今回も目標額である1500万円を調達できました。しかし、問題はそれだけではありません。戦車は兵器なのです。国が定める貿易管理令では、九五式軽戦車のような【装甲板を有する自動車】の輸入は、防衛省またはその委託を受けた者しか認められていません」

戦車を里帰りさせる条件は厳しく、輸入するには“博物館展示品”であるということを行政に認めてもらう必要があった。

具体的には、【保管・展示先である「防衛技術博物館」設立計画の目処が立っていること】、【九五式軽戦車が1945年までに製造されたものであるこの証明】、【第三者機関に歴史的、技術的に重要な機械産業遺産であることを証明する書面の発行】。そして【搭載戦車砲の発射機能が無いことの証明】をなどクリアしなければならなかった。

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戦車砲が搭載されている

しかし、今回里帰りした九五式軽戦車には戦車砲が搭載済み。小林代表、これは大丈夫なのだろうか?

「戦車砲は軽金属で製作したものにオリジナルから交換してあります。これは砲身も塞がれており、つまり精巧なモデルガンという扱いなのです。また、1945年までの製造と、機械産業遺産であることの証明は、もともと九五式軽戦車を展示していたイギリスのボービントン戦車博物館が書面を提出してくれて、条件は整いました」。

では、防衛技術博物館の設立計画の目処は?

「防衛技術博物館の設立に向けて、防衛技術博物館建設推進連絡協議会を発足しました。これによって条件がクリアできました」。

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弾痕の残るボックス