「例えばですけれど、中目黒の九〇坪の角地、一階は店舗、上の階にオフィスを入れたいというオーナーがいるとします。ではどんな風な建物をつくりますか、という課題を出すとします。すると資料に当たった上で、先生、正しいのはどんな建物ですかと聞いてくるのが多い。正解を求めてくるんですね。ぼくはそうした学生たちの思考を揺さぶるんです。それで、あっ、こんな感じかも、と(いいアイデアが)出てくる場合もあれば、そうでないのもいる」
学生と向き合う中で、心理学者レフ・ヴィゴツキーの「インナースピーチ」という考えを思い出したという。
言葉は他者との対話、コミュニケーションのために獲得されたとされている。しかし、むしろ、自分自身との対話、自分自身の思いを広め、深め、確認していく役割がある。自分の思い、考えを形づくった上で、他者と共有し、発展、発達していく。
〈学生の案やスケッチもまた、建築的に見ればこの「インナースピーチ」のようなものだ。それはまだ他者と共有されない未熟な表現形なのである。なにかモゴモゴと、定かならぬ言葉の発芽状態のようなものが蠢いている。文法も発音もデタラメなことが多い。しかしそれが建築的に見て未熟だからといって否定してしまっては、せっかく目覚めた空間構想の喜びを摘んでしまうことになる。豊かなアイデアへと育っていくかもしれない可能性を潰してしまう〉
インナースピーチとは、やがて他者に伝わる言葉となる可能性のある「苗床」であると竹山は考えている。
建築こそ、はじめに言葉ありき、なのだ。
文・構成/田崎健太(ノンフィクション作家)















