「人を殺めて阿闍梨になったのは自分くらい」

「私は大阪拘置所で死刑囚確定囚とも向き合って来ましたからね。寝起きしている場所の近くに、当日の朝にでも(執行を)告知されればすぐに引き立てられて、絞首が行われる刑場があるわけですから、その緊張感はすさまじいものがありますよ。

あの法相は警察官僚でしょう。それなら尚のこと、死刑執行がどういう行為なのか、そして現場の職員がどういう気持ちで職務にあたっているのかを知らなくてはいけないはずです。

絞首刑台のスイッチは、罪の意識の軽減させるために誰が押したか分からないように4つある。その執行手当が2万円やったか……。それで押すわけです。

その罪の意識は消えません。私は刑務官を辞めて人を救おうと思って修行をしたわけですが、今でも『人を殺めて阿闍梨になったのは自分くらいかもしれません』と、言うことがあります。それだけ重い事実なんですよ」

葉梨法相の発言は与野党から批判されて、謝罪に追い込まれたが、一方でこの問題を軽視するような発言もマスメディアは報じた。

ある芸人はこう語った。

「軽率な発言と思うけどパーティーでこれを言ったことによってスベってマスコミに叩かれて謝罪の記者会見までする。もういいんじゃないですか。ある意味で(葉梨法相が)気の毒」

「センスの問題だったんでしょうね。そんなに騒ぎ立てることでない。本人が反省するしかない」

ワイドショーの芸人らしく、ただ自虐ネタでスベッただけではないか、と発言を矮小化するコメントである。現在のテレビが視聴率主義から、報道とバラエティの垣根を自ら壊し、専門知を蔑ろにして来た結果、すべての価値が相対化され始めている。結果、こうした発言が普通に電波に乗ることを泉井は、手厳しく批判する。 

「法相のあの発言がただスベッただけやなんていう擁護や同情は、理解し難いですよ。拘置所の現場を何も知らない人が、笑いをとるためになんで死刑を引き合いに出すのか。

身内や支持者に向けて自虐ネタをもしもやりたいのなら自分のフィールド(警察)のことを言えばいいじゃないですか。死刑執行には刑務官だけではなくて、検事も立ち合います。検事もまた冤罪ではないかと、必死に資料を調べるのですよ。そういう人たちの苦労も何も考えていない」