満洲の名もなき都市を舞台に日露戦争前夜から半世紀にわたる人間たちの生き様を描いた小川哲さんの『地図と拳』、現代女性が対峙する実相をかつて炭鉱で労働を担った女性たちに心を寄せつつ描いた櫻木みわさんの『コークスが燃えている』が、いずれも6月に刊行された。かねて面識のあるお二人が互いの作品と創作について語り合った。
構成/長瀬海 写真/島袋智子 (2022.8.28、2022.9.14 収録)
出会いのきっかけ
小川 櫻木さんとは前から親しくさせてもらっているんですけど、初めて会ったのは……ボードゲーム会でしたか?
櫻木 いえ、私ははっきり覚えていて、大森望さん主催の焼肉の会です。それが2017年で、私は前年にゲンロンSF創作講座に通っていたんですけど、その年のゲンロンSF新人賞で最終候補に選出されました。その縁もあって大森さんが焼肉の会に呼んでくださって、そこで端っこに座っていらしたのが、小川さんでした。
小川 そうか。まだ『ゲームの王国』を出す前ですね。
櫻木 ええ。そこでカンボジアについての小説を出すという話を聞いて、驚いたのを覚えてます。隣国のタイに住んでいたからカンボジアにはよく行っていたし、習作でカンボジアについての短編も書いたことがあったので親近感が湧いたというか。その半年後にまた大森さんの食事会で会ったんですけど、そのとき私がお金が足りなくてコンビニにおろしに行こうとしていたら、小川さんが「じゃ、貸しますよ」と言ってくれて。まだ友達でもなんでもないのに(笑)。
小川 全然覚えてない(笑)。そんなことがあったんですね。
櫻木 小川さんはこの手のことはすぐ忘れる(笑)。私はよく記憶してるんです。しばらくして『うつくしい繭』の刊行が決まった頃にも小川さんと会って、改稿について相談しましたよね。それは覚えてます?
小川 ちょっとだけ覚えてます。確か、アドバイスとして自分が一番読み返したくないところを集中的に読み返した方がいいって言ったと思います。それは自分の受験勉強からの教訓で、失敗する受験生ってわからないことでストレスを味わいたくないから、得意科目の問題だけを解いてしまう。だから僕はずっとやりたくない科目や単元の問題集ばかり解くようにしたんです。小説も同じで、僕が周りに聞く限りだと、どうしても気に入ってる箇所を何度も読み返しちゃうという書き手の人が多い。僕も同じだから気持ちがわかるんですけど、だからこそ意識的に、一番気に入らない部分を読んで改稿するようにした方がいい、そんな話をしましたよね。
櫻木 うん、そうそう。すごく具体的な話だったからよく覚えてます。
小川 僕は『うつくしい繭』で初めて櫻木さんの作品を読んだんですけど、意外とストーリーの起承転結をはっきりと作る人なんだなと驚いた記憶があります。起承転結をあえて避けるタイプかなと思っていたんですけど、読んでみると櫻木さんの作品はストーリーラインが割と明確で。それは今回の『コークスが燃えている』を読んでも思いました。
櫻木 それはゲンロンSF創作講座で鍛えられたんだと思います。私も『ゲームの王国』で小川さんの作品を初めて読んで衝撃を受けたのを覚えてます。カンボジアのあの内戦を「中の人」として書くという発想は私にはなかったから。今回の『地図と拳』もそうだけど、「中の人」をあそこまで深く書ける小川さんにはいつもびっくりさせられます。そういうのは小川さんは意識的にやっているんですか?
小川 意識的というか、それが楽しいからですね。僕が小説を書く大きな動機の一つに、わからない人をわかりたいという気持ちがあります。不可解な行動をした人、僕が理解できない結論を導いた人、そういう自分と異なる価値観で生きている人について、考えを巡らせて想像するのが僕はすごく楽しい。それがしたくて小説を書いているという部分もあるかもしれないくらいです。
櫻木 わからない人をわかりたい気持ちは私も同じなのですが、小川さんと違って私は自分が出発点にある。自分が感じたこと、衝撃を受けたこと、その体験じたいが創作の源泉になるような書き方です。
小川 櫻木さんの作品は、自分と立場に近い人から、少し価値観が違う人まで、彼女・彼らの考え方に触れることで、作者自身が驚きを感じていることがわかるような物語が多いですよね。僕はそうではなく、もう、そいつになりたい(笑)。なぜそいつは僕と違う価値観なのか、異なる考え方をするようになったのか、それを理解したい。もちろん全てわかることは難しいだろうけど、それならそれでチャレンジしてみたい。そこが小説の作り方として一番違うところだと思う。もちろん自分を基点にした小説も書いているし、そちらの方が書くのは簡単なんだけど、バリエーションを出すのが難しいように感じます。
櫻木 それはきっと小川さんがブレない人だからだと思います。私は他者を前にすると揺れ動く部分が大きくて……。好き嫌いははっきりしてるんですけど。
小川 『コークスが燃えている』でも、さっきまで批判的なことを言ってた人といきなり仲良くなってたりしますよね。それはきっと櫻木さんが日頃から、起こった出来事によって考え方やモノの見方を頻繁に更新しているからなんでしょうね。
櫻木 確かに私はいつもいろんなことにびっくりしているから、それが小説にも顕れているかもしれません。
隙がない小説、『コークスが燃えている』
小川 僕は『コークスが燃えている』は、隙がない小説だと思っています。主人公の心情がすごくクリアに見える書き方がされている。そこに櫻木みわという小説家の特徴があると思う。まるで実録ブログを読んでいるかのように、起きたこと、感じたこと、考えたことが全て明確に書かれているというか。主人公のひの子の内面描写にしろ、ひの子が信頼を置いている有里子さんという友人との会話にしろ、心の動きがとてもトレースしやすい。それだけに僕にとっては予想外な動き方をするから驚かされる。その結果、ぐいぐい引き込まれる。
櫻木 そういえば、星雲賞を受賞した「SF作家の倒し方」(『異常論文』収録)で私の倒し方も書いてくれましたよね。あそこで、「櫻木みわは著作をすべてサイコパス視点から分析するという「サイコパス読解法」で倒せます」って書かれてた(笑)。
小川 書きましたね(笑)。櫻木さんの作品って主人公がサイコパスだと思って読むと全然違う話になる。この作品でも、弟が関係を持った沙穂という女性が妊娠したことで、ひの子と揉めますよね。沙穂は一人で育てると言ってそのまま音信不通になる。ひの子からしたら沙穂は信じられない人物で彼女の取った行動に呆れてるんだけど、ひの子もひの子で、そんな沙穂と仲良く食事をしている。僕からしたらひの子もなかなか常軌を逸してる(笑)。元カレの春生との関係性も理解し難いですよね。もちろんそれが物語の面白いところではあるけれど、読んでいて、いや、そいつはやめておけよ……と思ってしまう。でも、ひの子は春生と再会することで起こる一連の出来事から教訓を得て、価値観を広げていく。最後の方になると、ひの子はちゃんと自分で次の一歩を踏み出せるようになるから、読んでいて救われる感覚もある。ただ、そういう物語を、この読解法で読んでみると怖いんです(笑)。
櫻木 そのことと少し関係するかもしれないけれど、私、人には核になる年齢があると思うんです。実年齢や精神年齢とも別の、その人の性質に近いところの年齢。私は自分は5歳くらいかなって思うんです。子どもだから、そっちに行っちゃダメというのがわからない。みんなが危ないって思う方に、希望を持って進んで行ってしまったりする。
小川 なるほど……。それで言うと、子どもって大人からしたら理解しにくい存在じゃないですか。大人がする理性的な考え方を持っていないし、経験則もないから、損得やリスクを考えずに、自分の気持ちや感情だけで行動してしまう。櫻木さんの小説が5歳児と言うと聞こえは悪いかもしれないけど、ある種の無防備さというか、世界を可能性に満ち溢れているものだと考えて、どんなところにでも飛び込んでいく部分は子ども的とも言えますよね。その結果、トラブルを生むこともあるけれど、逆に新しい人間関係を作ったりもするわけで、それが櫻木さんの小説の魅力になっている。
櫻木 以前、小川さんと町屋良平さんと3人で話していて、町屋さんの文章には清潔感があるって小川さんが言ったことを覚えています。そのとき、「私は?」って聞いたら、「清潔感とはちょっと違う」って(笑)。
小川 町屋さんは高校生を書くのがとてもうまい。町屋さんの小説は、ひどいことや暴力的なことが起きても、あまり嫌な感じにならない。それを「清潔感」という言葉で表したんだと思います。
櫻木 私も町屋さんの核の年齢は10代のように感じます。私の文章は辛いことがそのまま辛いから清潔じゃないって感じでしょうか?
小川 いや、そうではなくて、さっきも言ったように、大人から見ると無謀だと思われるような人生の選択も、櫻木さんの主人公は遠慮なくしますよね。それは主人公にとって、世界が常に新鮮なものとして開かれているからなんだと思います。だから、町屋良平さんの清潔感とはまた違った清らかさが櫻木さんの小説にはあるんじゃないかなって感じがしますね。