降田 天『事件は終わった』刊行記念インタビュー 「二人で書くことで何でも二倍に。コンビ作家の新境地。」_1
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ある地下鉄内無差別殺傷事件を起点に始まる連作集『事件は終わった』が刊行される。著者は降田天。降田天は、鮎川颯さんと萩野瑛さん二人による作家ユニットだ。作品の着想から最終話への着地まで、執筆の裏側を聞いた。「意見の相違があったらどうするの?」「役割分担は?」など“二人で書くこと”の利点や悩みについても聞いてみた。

聞き手・構成/タカザワケンジ 撮影/藤澤由加

降田 天『事件は終わった』刊行記念インタビュー 「二人で書くことで何でも二倍に。コンビ作家の新境地。」_2
鮎川 颯さん
降田 天『事件は終わった』刊行記念インタビュー 「二人で書くことで何でも二倍に。コンビ作家の新境地。」_3
萩野 瑛さん

事件に居合わせた人々の物語

――『事件は終わった』は「小説すばる」に連作短編として発表された作品です。どのように着想されたのか教えてください。

萩野 事件の直接の加害者、被害者ではない人たちへの興味ですね。以前住んでいた家の近所で昔、殺人事件が起こったんです。数日間とはいえ不安な思いをしたことがありました。犯人がなかなか捕まらないなか、被害者の方が行かれていたお店に自分も行ったことがあったりしたので。ふだんミステリで殺人事件を書いているのに、実際の事件が近くで起きて初めて、不安とか恐怖ってこういうことなのかとリアルに感じたんです。近所に住んでいるだけの人間がこんなに不安になるんだ、と思った時に、報道では重視されませんが、そういった事件の周辺の人たちが主人公たり得るのではないかなと。

――萩野さんがプロット、キャラクター設定、鮎川さんが執筆を担当するとうかがっています。執筆にあたって、萩野さんが今おっしゃったことを鮎川さんに相談されたのでしょうか。

鮎川 そうですね。話を聞いてなるほどと思いました。でも、一話ずつプロットをもらって書いたので、その時点では全体がどうなるかはわかりませんでした。最後は犯人に迫るのかなと思っていたら、「いや、犯人には迫らないよ」と言われて、「えっ、そうなんだ」みたいな感じでしたね(笑)。

萩野 実は、最初から事件に居合わせた人たちの連作で一冊にしようと思っていたわけではないんです。最初の「音」の舞台が古びたアパートだったので、そのアパートの住人たちの連作にしようかなという考えもありました。アパートの住人たちの話にするか、それとも事件に居合わせた人たちの話にするか。「音」の時点ではまだ決めていなくて、結局、事件のほうが採用になったんです。

――ということは、単行本のプロローグにあたる「事件」は最後に書かれたんですね。

萩野 そうですね。単行本のための書き下ろしです。「音」を読んでいただければわかりますが、アパートの住人たちの様子がかなり詳しく書き込まれているはずです。それは、住人たちで連作短編にするかも、と迷っていたからなんです。

――二人の間で意見が対立することはありましたか。

萩野 イメージしているものがズレていたりすることはありますね。第三話の「顔」の時に、池渕というキャラクターを「テニス部のエースで陽キャでビッグマウス」とプロットで書いたら、原稿ではテニス部じゃなくてテニサー(テニスサークル)っぽくなっていたんですよ。

鮎川 実際のテニサーは知らないので、イメージのテニサーですが(笑)。

萩野 チャラ過ぎたんで、もうちょっと野暮ったくしてというか、落ち着いてというか。うちは弟、妹もテニス部だったので、体育会系のテニス部ってわりと地味だと思っていて、少なくともチャラくはないと。

鮎川 あそこは萩野がけっこう書きました。

萩野 話によっては私が下書きをすることもあるんです。最初の二話はプロットだけですが、「顔」と、最後の「壁の男」。その二話は下書きに近いものを書きました。

鮎川 「壁の男」に出てくる向井正道というおじいさんが、萩野の好きなタイプのキャラクターなんです。

萩野 そう。それぞれ好きなタイプのキャラクターがあるので、私が好きなキャラクターに関しては下書きまで書いています。

――お二人でやりとりをしながら完成度を高めていくわけですね。編集者に見せるのはほぼ完成されたものですか。

萩野 完成まではいかないですが、こっちで話し合って直した後の原稿を出しています。でも最近は、直したものを見せるのがいいのかどうか、わからなくなるところもあるんです。もっとざっくりした原稿を編集者に見てもらって、そこから一緒に詰めていったほうがいいのかな。そんなことを思わなくもないんです。

鮎川 二人だけで詰めていくと二人揃って間違っている可能性があるので。間違ったままどんどん進むのは危険ですから。

登場人物をニュートラルに書きたい

――今回は連作ですが、長編でも、萩野さんが部分的に下書きをすることはあるんですか。

萩野 『すみれ屋敷の罪人』という作品があるんですが、パートごとに視点者が変わるので、視点者によっては下書きしました。『朝と夕の犯罪』は改稿の段階でキャラクターを足したので、そのキャラクターの視点部分は私が下書きしています。

鮎川 人物によって、私のほうがわかる人物と、萩野のほうがわかる人物がいるんですよ。それに、どっちかが同情的になりやすい人間とか、嫌いになりやすい人間というのもあって、「このキャラは嫌いだからちょっと意地悪に書いてる」とか、「この人のことを好きだから同情的」みたいな。そういった意図していない偏りが出そうになったら、そうならないほうが書くようにしています。ニュートラルに書きたいので。

――登場人物をニュートラルに表現したいという意図は『事件は終わった』からも感じます。たとえば「音」の主人公の和宏は事件当時、被害者のすぐ側にいたのに逃げ出してしまった映像がネットで拡散され、世間から非難される青年です。彼の言動は同情できるところもあれば、批判したくなるところもありますね。

萩野 和宏について覚えているのは、母親に対する彼の言動をもうちょっとひどくしてほしい、と私から鮎川にリクエストしたことですね。

鮎川 私自身がマザコンなので、母親に対してそこまでひどいことを言わせるのはイヤだな、という意識が働いてしまって。萩野から見ると、親への反発が足りなかったみたいです。

萩野 個人差だとは思うのですが、男の子のほうがお母さんに甘えがちで、お母さんも女の子より男の子に甘い部分があるじゃないですか。そういう関係性のなかで子どもがもし追い詰められたら、反動でああいう強い言動に出ることもあるかなと。

――確かに母子関係はリアルでしたね。お母さんが身体にいいからと毎日「めかぶ納豆」を出すとか、ディテールもとても共感できました。

降田 天『事件は終わった』刊行記念インタビュー 「二人で書くことで何でも二倍に。コンビ作家の新境地。」_4