眠らせてからポージング

撮影もただ撮るだけではない。これは昆虫「写真集」ではなくて「図鑑」なので、子どもが採集した昆虫がなんなのかわからないといけない。そのため全ての昆虫の輪郭がはっきりするように背景を「白」にして、たとえば蝶なら羽根の形が、ナナホシテントウなら背中の7つの星が見えるように、それぞれ「統一ルール」が設定された。実際の撮り方を編集部にキマダラカメムシを持参(!)した長島さんが実演して見せてくれた。

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まず二酸化炭素でキマダラカメムシを一時的に眠らせる。そのあとピンセットで脚や触角を伸ばして「ポージング」する(撮影:菊地健志)
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眠ったままだと躍動感がないので、起きるまでまって、素早く撮影する。白バックに使っているのは、写真印刷用のプリント用紙。普通のコピー用紙より白の具合が良いのだとか(撮影:菊地健志)
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このとき撮影した写真。虫の影が抑えられて輪郭がはっきりし、脚や触角の様子もよくわかる(長島さんからの写真提供)

子どもへの愛情がたっぷり詰まった本

そうやって採集したなかには、丸山さんや長島さんのような昆虫のプロでさえ「初めて生きている姿を見た」と、息を呑んだ虫もいる。たとえば絶滅危惧種に指定されているベッコウトンボ。

「採集するには環境省の特別な許可が必要になります」(牧野さん)

動物や魚に関しては「絶滅危惧種」の保存がメディアで取り上げられることは多い。だが昆虫の絶滅危惧種が同じだけ注目を集めているだろうか。ひょっとして、知られぬうちに絶滅してしまっている昆虫もいるかもしれない。実際に採集にも関わった丸山さんは「いまの日本は本当に虫が採れなくなった」と嘆く。

「20年前ならなんの変哲もない山で採れていた虫が、今回は相当奥深い山に入っても採れないことが多かった。これは他の人に聞いてもそう。日本は昆虫が採れなくなってきているというのが実感です」

だからこそ、今のうちに生きている昆虫の姿を子どもたちに届けることが大切なのだ。丸山さんによると、専門書ではない子ども用の学習図鑑で、これだけ手間暇を掛けたものは世界でも類がないそうだ。

「子ども向けの図鑑でこんな大きな判型で、内容もしっかりしたものは世界にないと思います。昆虫図鑑に限らないのですが、それだけ日本の普及書の教育水準の高さを物語っていると思います」

中味以外にも図鑑の体裁で、この本に関わった人たちの気持ちが表れている部分がある。本体の角の部分で指を切らないように丸くカットされているのだ。

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子どものことを考えて、丸くカットされた部分(撮影:菊地健志)
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「子どもがページを繰ったときに、指を切らないようにした配慮です。製本過程でこの工程を入れると締切が一週間早まるので編集としては辛いんですが、必要なことですので」(牧野さん)

今回の「新版」は「旧版」から8年ぶりの改訂。今回の本に盛り込めなかった積み残しがまだあるという。「次回版」の構想を尋ねると、

「いや、やっと終わったばかりで、次のことなんてまだ考えられないですよ。勘弁してくださいよ」

牧野さんがまた笑いながら手を振った。