「文脈抜き」のテストで「読解力がない」と言えるのか
新井紀子のRSTを国語教育・文学研究者側はどう見ているのか。紅野謙介は『国語教育の危機』のなかで「新井の指摘は重要です」と述べ、一定の評価を与えている。
しかしほかの文学研究者たちのなかには、RSTの欠陥を批判する者もいる。
東京大学文学部の教員らによる共著『ことばの危機』(集英社新書、2020年)では、中国語学者の大西克也や英米文学者の阿部公彦は、RSTが「コンテクスト(文脈)」を完全に排除している点を問題視している。
大西は言う。
「RSTは論理的に明晰で極めて簡潔な文章で作られています。そこには無駄がありません。だからこそ難しいのです。(中略)言葉上の意味は理解できても、世界との関係や、発話の意図が分からない言葉はそんなに簡単には頭に入りません」(172 -173ページ)
阿部もまた、私たちが言葉を理解するメカニズムについて次のように語る。
「我々は言葉とその環境、コンテクストを常に参照しながら言葉を理解している。だから私は、新井紀子先生の『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』を読んだ時に、一つ大きく感じた違和感というのは、(中略)あれは、コンテクストからは切り離されて言葉だけの理解でやっている。それは非常に難しいことです」(187ページ)
RSTは「文脈抜きに一文だけを読み、一義に解釈が定まる(はずの)文章」を読んで、その文章が何を意味しているのかについて答えるテストだ。
しかし現実世界では、ひとは前後の文章の文脈や、自身の文化的・社会的環境から類推しながら意味を探っていく。普通に生きていて、文脈抜きの文章解釈などほとんどない。
文章のプロである新聞社の論説委員でさえ、RSTで誤答してしまう。それは読解力がないせいではないだろう。テストの不自然な状況設定にムリがあるのだ。文脈を削ぎ落としたテストで点が取れないからといって「教科書が読めない」「読解力がない」と断じることはできない。
文/飯田一史 写真/shutterstock













