「旧姓の通称使用」こそが「戸籍の根幹」を揺るがす

この「選択的夫婦別姓」の要求に反対して、高市政権は「旧姓の通称使用」を主張し、その根拠として「選択的夫婦別姓制度」は「戸籍の根幹に関わる」という理由をあげている。

しかし政権がめざす「旧姓の通称使用」というやり方こそ、戸籍制度が作られた時に目指された「国民としての権利と義務の確定のための、国家による個人の特定」という戸籍の目的から逸脱し、「戸籍の根幹」を根底から揺るがす可能性がある。その理由は以下のようなものである。

「旧姓の通称使用」とは、ある個人が結婚により配偶者の姓に改姓し、結婚前に名乗っていた旧姓と異なる姓を名乗る人間として戸籍に登録されるにもかかわらず、社会的には旧姓を名乗る人間として活動することである。つまり、これまでAという姓で花子という名前だった人が結婚して、Bという姓に改姓し、戸籍上は「B花子」となっても、社会的には「A花子」と名乗り続けるということである。

「旧姓の通称使用」を推進しようとする人々は、これの適用範囲が拡大すれば、「選択的夫婦別姓」にする必要がないと主張する。しかし、そのような状態になれば、戸籍上「B花子」となった人物は、姓の変更にもかかわらず、社会的には「A花子」として認識され続ける。その名の使用範囲が拡大するにつれ、その人はますます「A花子」という人格として、社会的に認知されることになるだろう。

その時戸籍に登録された「B花子」という名を持つ人物は、社会的に認知された人格を持たない。つまり「B花子」という個人を社会において見つけることができないのである。こうなると、国家が戸籍に基づき権利義務を確定する対象となる「B花子」という個人は、社会的に存在が認められていない「幽霊」のような存在になる。戸籍はある意味「幽霊」を登録しているということになるだろう。

このような状態では、国家が戸籍に基づき「B花子」という個人を特定することは困難となるだろう。これにより、通常は社会において「A花子」として生活している個人の権利義務の認定が、不確実になる可能性が生じる。

こうした事態は、国家の行政の観点、つまり「国家に関わる権利義務を確定するための個人の特定」という戸籍制度の本来の目的から見て大きな問題である。これこそが、高市政権の主張である「戸籍制度の根幹」に関わる問題だと言えるのである。「旧姓の通称使用」という考え方は、行政手続きに関してこのような大きな問題を持っている。 

政治学者の中村敏子氏
政治学者の中村敏子氏

「夫婦別姓」問題の本質

「夫婦別姓」の問題は、結婚により改姓を迫られる多くの女性からの個々人の要求として提示されてきた。しかし、これは戸籍に関わる問題であるがゆえに、「国家による個人の特定」という戸籍制度の目的の観点から議論することも必要である。

そもそも明治政府が戸籍制度を作ったのは、国民一人一人を把握するためであり、そのために、個人を特定できるようにすべての人に苗字を与え、それを変更するのを禁止したのである。国民の姓は、個々人を識別するためにある。そして改姓を禁止し、氏(姓)の使用を義務化したのは、生涯にわたってその個人を把握できるようにするためであった。

このような個人を把握するという戸籍制度の原則から言えば、女性も結婚により姓を変更すべきではない。明治9年に太政官により出された「妻は嫁入り後も生家の氏を名乗ること」という指令は、「生家」の「氏」を重視するという意味もあったと言われるが、行政的には、女性に関しても生来の姓の変更を禁じたものと考えることができるだろう。

このように考えれば、通常「夫婦別姓」の議論として認識されている女性たちの要求は、単に、生まれた時に登録された姓を変えないという戸籍制度の大原則を、自分たちにも適用するよう求めているだけなのだと考えることができる。これこそが「夫婦別姓」の問題の本質なのであり、戸籍に夫婦を別姓で登録することは、その効果にすぎない。

それゆえ、戸籍における「夫婦別姓」を可能にすることは、西洋の影響により女性が姓を変えるという形で歪められた戸籍制度を、女性も男性も、戸籍に登録された「一生変わらぬ姓に基づき個人として特定する」という原則に基づいたものに正すことだということができよう。それはまた、現代社会における女性の要求にも適合する改革なのである。