徹底した男女の対等性

私が女性の問題を考える中で出会い、男女関係に関して最も公平な思想家であると考える福沢諭吉の男女関係論をご紹介しましょう。

福沢諭吉が「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と述べ、人間の平等を主張したことは有名です。それと同時に彼は、人間の自由を一貫して追求しました。

人間の自由と平等の追求は西洋近代の主題でしたが、実はそこで述べられた「人間」に女性は含まれず、これは男性だけの自由と平等の主張だったことは、すでに明らかにされています。しかし福沢は、女性と男性を完全に平等に扱い、対等な関係をどのように作るかを論じました。

福沢は1885(明治18)年から集中的に男女関係論を著しました。それは、先にも述べたように、西洋諸国との関係において、日本の男女関係のあり方が問題になっていたからです。それゆえそうした問題意識においては、明治民法を制定しようとした政府と共通したものがあったといえるでしょう。

大分県中津市にある福沢諭吉像 写真/Shutterstock
大分県中津市にある福沢諭吉像 写真/Shutterstock
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しかし西洋的な〈夫権的家父長制〉を受け入れた政府とは異なり、福沢の議論は、徹底して男女の対等性に基づいています。それは以下のようなものでした。

福沢は、女性と男性のそもそもの存在のあり方について、女性と男性が人間として異なるところは「ただ生殖の機関のみ」と述べ、それについても、仕組みが異なるだけで、一方が重要で他方は重要でない、ということはないと述べています。

そして、その他の体の構造も心の働きもまったく同様であり、男子のすることで、女子ができないことはないのだと主張しました(『日本婦人論後編』)。このように福沢は、男女の「性の違い」を、生物であることに基づいて、科学的、価値中立的に説明し、根本的な違いはないと論じたのです。

分析概念の「イデオロギー」を説明する中で挙げたアリストテレスは、男女の生物としての違いをそのまま優劣に置き換えて論じていました。またキリスト教は、生まれつき女性は男性に従うべき存在だと論じていました。

これに比べて福沢の議論は、生物としての人間のあり方をそのまま認めた点が重要です。それは生物としての違いを上下に価値づけることをしないという点で西洋の思想と異なり、そのため男女を対等に扱うことができたのだといえましょう。

それゆえ福沢は、女性の教育についても、「女子が生まれたらば、男子と区別せず」、小さな頃から女子だからといって取扱いを粗末にしないように主張します。

そして身体の発達に注意しながら「学問技芸」を教えることは、男子と同様にすべきだと論じています。また家の財産も男子と同じように分配し、その上で将来生計を立てられるような「一芸」を仕込むのがいいと言います。そうすれば、生涯男子に頼らず、独立の精神も生ずるだろうと言うのです(同前)。