アメリカの不公正とイランの問題
(2025年6月の)イスラエルによるイランの攻撃とアメリカの関与の状況を見ていると、私は(1990年代はじめにセルビア人キリスト教徒を中心とする)ユーゴスラビア軍がボスニア・ヘルツェゴビナのボスニャク人(ボスニア人ムスリム)を攻撃したときのことを思い出します。
セルビア人たちはあらゆる種類の武器を持っていました。そして犠牲を減らすためには世界のどの国もボスニャク人に武器を供給すべきでないとされました。つまり、ボスニャク人を殺すことだけが許されたのです。これがヨーロッパの原則です。セルビア人側がボスニャク人を殺すことは許されますが、ボスニャク人側がセルビア人を殺して報復することは許されませんでした。
今起きているのも同じような状況です。イスラエルはイラン人を殺してもいいが、イランに反撃を可能とする核兵器を持たせてはならないのです。だから彼らは、イランの核兵器開発を許してはならないと主張するのです。
なぜでしょうか? もしイランが許されないのなら、イスラエルも許されるべきではありません。
一方には許可してもう一方には許可しないとなれば、許可されなかった側は脅威を感じるでしょう。つまりイスラエルがイランと戦争をする際、イスラエル人はイラン人を殺してもいいが、イラン人はイスラエル人を殺してはならない、ということなのです。
私は今、第三次世界大戦を引き起こそうとする動きが現れているのではないかと懸念しています。例えば現在、イギリスでは6つの新しい兵器工場が建設され、最大12隻の攻撃型潜水艦を建造する予定があると聞いています。すでに戦争の準備が整えられているのです。
1929年から31年のころにかけて、戦争が起きるという話がすでにあったことを今でも覚えています。ドイツのこうした行動があった、イギリスのこうした行動があった、という話から、最終的に戦争をすることになるだろうと言われていたのです。なぜなら、欧米にとって戦争は問題を解決するひとつの手段だからです。
しかし二度の世界大戦を通じて、欧米の人々も戦争が問題を解決しないことに気付きました。だからこそ「戦争に終止符を打つ」ために国連を提唱したのです。しかし、彼らは国連に自分たちが拒否権を持つ制度を作りました。それでは「諸国家の連合」ではなく、強国による独裁体制でしかありません。












