迫力の冒頭から後半の「うねり」へ
――冒頭の火事の場面では先ほどおっしゃった火の描写もさることながら、零次たち町火消と対立する大名火消との戦いも迫力があって、一気に物語の中に引き込まれます。
神尾 冒頭の火事のシーンに関しては、まずはぐっと激しいアクションで惹きつけるように書きました。
ただ、デビュー作の『我拶もん』が、全体を通してアップテンポな疾走感を目指していたのに対して、今回は後半から大きくうねっていくような展開を作りたいと考えていました。
それで前半部分は、零次の屈折した嫌な面やつらい過去も含めて、彼の内面を丁寧に書き込むよう意識しました。また、相棒である龍との絆や、親方である新門辰五郎との絶対的な主従といった人間関係の土台を作り、さらに蛇ノ目というライバルとの敵対はどうなるのかという物語をからめ、ためてためて後半へ、という流れになっています。
――熱い火事のシーンから鎮火後の静けさが訪れ、そこから複雑な人間関係とドラマが立ち上がってくる。たしかにそういう流れになっていますね。そこに零次の複雑な内面が書き込まれています。
神尾 幕末が舞台だったからこそできた流れだと思います。物語の後半に、幕府が倒れる、江戸が火の海になるかもしれないという大きな危機が待っているので。
作中で零次の親方として登場する新門辰五郎は実在の人物で、実際に京都と大坂で徳川慶喜の警固を務めていました。この歴史的事実をうまく小説のドラマに組み込めば、零次が大坂城で戦に直面する場面が書けると思いました。
――新門辰五郎のことを知らなかったので、こんな人がいたのかと驚きました。火消であり侠客でもあり、娘が将軍・徳川慶喜の側室になっていたことや、鳥羽・伏見の戦いで配下を連れて慶喜の警固に当たったことなど、知らないことばかりでした。史実に創作の人間ドラマを絡めていくのは歴史・時代小説の醍醐味ですが、神尾さんはその塩梅をどのように考えていらっしゃいますか。
神尾 『我拶もん』でもそうだったのですが、作中に実在の人物を一人か二人、重要なポジションとして配しておくと、物語全体がグッと引き締まると思います。もちろんすべて架空の人物で描かれた作品も読者としては好きなのですが、自分自身で書くとなると、今のところ、史実に翻弄され、抗おうとする主人公に惹かれますね。
永遠とお七、零次と龍
――この作品における新門辰五郎には存在感があって、彼が大きな傘のように全体を包み込んでいるからこそ、零次のような複雑な男が生き生きと動き回れるのだと感じました。その辰五郎の元に身を寄せている、永遠とお七という姉妹の存在も魅力的です。この二人はどのような発想から生まれたのでしょうか。
神尾 この作品が、まだ原形もなかった段階では、「八百屋お七」をモチーフにした小説を書いてみたいと思っていたんです。それはやめたんですが、お七は火事とも関わりが深いので名前を残し、香具師の一人に吉三というお七の思い人と言われる男性の名前をつけました。
――お七については、実在のお七を彷彿させるすばらしい場面もありますね。では、姉の永遠はどうでしょう。
神尾 この作品では、どちらも悪いけれど、どちらも悪くないという、善悪では割り切れない人間の業を描きたいと思っていました。そのためにはどんな人物が必要だろう。そこで主人公の零次に対して、永遠が出てきました。
――永遠は不思議な立ち位置の登場人物です。主人公に近づきそうで近づかない。妹のお七の前では普通の姉のように見えますが、世間から見れば偽の尼僧という謎めいた人物です。
神尾 登場人物の中で、実は一番強いのは永遠だと思います。主人公の零次は一見強そうに見えて、心がとても弱く、周囲の状況に流されやすい。もともとの零次は全能感に満ち溢れた若者だったのですが、大坂で戦場の過酷さを目の当たりにして心が挫けてしまいます。
一方、永遠は芯が一本通った強い人間です。強いからこそ、偽の尼僧という立場を十年以上も続けてこられたのだと思います。普通なら途中で心が折れてしまって投げ出してしまうでしょう。自らの罪を裁いてもらうまでは強くならざるを得なかった女性だと思います。
――その永遠とは対照的に、妹のお七は、人の心を読める鋭さを持ちながらも、愛嬌があって好感が持てる人物です。お七の人物像はどのように作られたのでしょうか。
神尾 十七歳くらいの少女のリアルなあり方って、きっとあんな感じだろうという思いで書きました。それと、吉本ばなな先生の『哀しい予感』の主人公がずっと印象に残っていて、それに影響を受けた部分もあると思います。『哀しい予感』の主人公は、人の気持ちや感情がわかりすぎてしまう能力がある十代の女性で、そのためにつらい思いをしたりもします。お七という少女にも、そうした人の心のありようを直感的に察してしまう鋭さがあります。
ただ、能力とは別にお七自身はおっちょこちょいな性格なので、うまく先回りして振る舞えるわけではありません。ふと人の顔を見たときに、その人が今どんな心境でいるのかがパッと見えてしまい、悪気なく口に出してしまう。心を頑なに閉ざして生きようとしてきた零次にとって、自分の内面を見透かしてくるお七のような存在は、うっとうしいし、不気味で恐ろしい相手です。だからこそ零次は、お七のことを遠ざけようとするわけです。
――でも、お七は零次を慕っているようです。零次には龍という弟分がいて、お七との間には不思議な三角関係が生まれます。三角とはいっても恋愛というほどはっきりしたものではないところがユニークだなと思いました。
神尾 これは私の解釈ですが、龍は、零次に対しては恋愛に近い愛情を抱いているんじゃないでしょうか。そして、お七はその龍の気持ちを察している。では、零次に対してお七自身が恋心を抱いたらどうなるのか、という含みも少し持たせています。
現代小説であれば、登場人物同士の恋愛感情や性的指向をはっきりと書いたほうが自然な場合もあると思います。しかし、時代小説では、そのあたりの感情のグラデーションをあえて曖昧に残しておき、読者の方々の想像に委ねることもできるんじゃないかと思っています。
龍が零次に向ける感情が仮に愛であったとしても、それは同時に家族愛のような大きな絆でもあると思います。この作品の登場人物の中で、実際に血がつながっているのは永遠とお七の姉妹だけで、あとの人間は全員赤の他人です。ですが、新門辰五郎という親方を筆頭に、血のつながりを超えた強固な「家族」として結ばれています。
江戸時代は徳川家をはじめ武家で養子縁組が当たり前に行われていたのは有名ですが、町人の間でも捨て子や子供のもらい受けが普通に存在していました。血がつながっていない人間同士が、どれほど深い信頼関係や家族としての絆を築けるのか。血縁という枠組みを超えた強固なつながりは、今回どうしても書いてみたいことの一つでした。














