「万物の霊」としての女性と男性

福沢は、生涯人間の独立を主張し続けましたが、その独立すべき人間には男性だけでなく女性も含まれていたことが、これでわかると思います。また西洋の例を引用しつつ、女性が職業を持つことや参政権を要求することなども可能であると論じています。

福沢は、本来このように女性と男性が対等であるべき根拠として、「万物の霊」という概念を使いました。「万物の霊」とは人間を意味する儒学の概念で、世界に存在するすべてのものの中で最も優れた存在という意味です。

福沢は西洋の思想から学んだといわれますが、彼の社会に関する基本構想は、若いときに学んだ儒学に基づいていました。そして福沢は、社会を構成する人間のあり方も、儒学の根本概念である「万物の霊」からとっています。

「人は万物の霊なりといえば、男女共に万物の霊なり」。そして女性も男性も社会に必要なのであって、どちらかが重要であるということはない。どのように見ても、「その間に軽重貴賤の差別あらんとは思われず」(同前)と論じたのです。

福沢は、なぜ女性を抑圧する考えが流布するようになったかについて、『女大学』に代表されるような儒教流の「陰陽説」を徹底して批判します。そして、このような言説を作ったのは皆男で、「男のために便利なる工風(工夫)のみを運らして、女の不便利には少しも頓着することなく」、勝手に教えを定めたのだと言うのです。

儒教流の「陰陽説」では、「陽」が優れていて「陰」が劣るという価値づけがなされており、男性は「陽」に、女性は「陰」に分類されています。

しかし福沢はそれに対し、「陰陽」というのは、心の中にふたつの考え方を描いて、自分の好きなように、こちらが少し優れていると思えば「陽」の部類に入れ、少し劣っていると思ったら「陰」の部類に入れ、そのように勝手に分類したものだ。

「男子のすることで、女子ができないことはない」男女関係に関して最も公平な思想家・福沢諭吉の男女平等論を知る_2

こうして「一方は貴く一方は賤しき者のように説を立て、これを自然の道理として(傍点は筆者による)」怪しまなくなった。しかし男女が「陰陽」の徴を持つわけでもないし、そもそも「陰陽」など存在しない。儒教を学ぶ学者が女性を見て、何となく男子より劣っているように思い込んだ「儒者の夢話」なのであると言うのです(同前)。