本来「陰陽」という概念など意味がない
このように福沢が儒教の教えを批判したのは、明治10年代後半から政府の政策が儒教に基づくものに変わっていったからです。それに対して福沢は、男女の対等性を主張する中で、このように儒教の「陰陽説」を批判しました。注目していただきたいのは、彼がそれを行なう手法です。
福沢は、「陰陽説」を単に男女を不平等に扱うという内容において批判しただけではありません。なぜそのような言説が作られ、どのような効果を持っているのかという点にまで掘り下げて批判しているのです。
つまり本来「陰陽」という概念など意味がないのに、男性が自分の都合の良いように作り上げ、それが社会的に流布し、それを人々が「自然の道理」つまり当たり前だと考えるようになることで、女性を縛る働きをするようになったと言うのです。
これこそ「イデオロギー」の働きだといえましょう。そして福沢が行なったように、そのような言説が男性の都合の良いように構成されているという構造を分析で暴くことを、「イデオロギー暴露」といいます。
つまり社会が当たり前だとしてまとっていた言説の衣を剥ぎとって、その本当の中身を見せてしまうことです。福沢の議論の鋭さは、この点にあります。
このような批判をした後、さらに福沢は、今でいう「ロール・プレイング」の提案をしています。つまり女性を抑圧する教えの理不尽さを、男女の立場を入れ替えて経験してみるよう提案するのです。『女大学』の教えを男性に守るよう言ったなら、不満だらけだろうと述べて、そうであれば、女性も同様に感じることがわかるだろうと言うのです。
文/中村敏子












