兄の生活を支えてきた弟
Bさんは長年力仕事を続けた末に両膝を痛めて昨年手術し、今年6月には心臓の不調も見つかったために今は働きに出られない体だ。
そして事故があった20日も、AさんとCさんは朝5時ごろに「仕事行ってくる」と言って元気に出かけて行ったという。事故はその約6時間後の午前10時46分ごろに起きた。
「あの日おれは事故のことを知らず、用事があって午後1時ごろに弟に電話したんだ。そうしたらつながらないので『おかしいな』と思っていたら、弟が事故で死んだって知り合いが電話してきてくれたんだ。
車で迎えに来てもらって鹿沼警察署へ行って、遺体確認をさせられたよ。最近は遺体を直接見せると倒れてしまう遺族がいるから遺体の写真を見せるそうで、弟の写真を見せられたよ」
東武鉄道の説明では事故当時、現場には東武建設の社員2人とX建設から送られた5人の他、警備会社2社から来た見張り3人の計10人がいた。
東武日光方向から新鹿沼駅に近づいた列車は、上りホームの手前にある、使われていない旧ホームのそばで4人に接触している。その現場から約80メートル手前には「列車見張り員」が、同315メートル手前の踏切には「中継見張り員」が、それぞれ一人ずつ配置されていた。
このうち中継見張り員は、「(列車見張り員との)意思疎通が取れない状態にあった」と事故後にと東武鉄道の聞き取りに対して供述。さらに列車運転士の話では、中継見張り員のそばを通り過ぎて現場まで約215メートルの地点に差し掛かった時に、より現場に近い位置にいる列車見張り員から、進入可能を意味する「列車接近了解合図」が手旗で送られたという。
この合図は現場の線路上にいた4人の退避完了を確認しなければ発出されないものだったが、実際には4人は退避をできていなかった。時速約52キロで駅構内に入った列車の運転士は直近で4人に気づいて非常ブレーキを作動させたが間に合わなかったという。













