一世を風靡するスターに
そのハスキーで切ない叫びを際立たせるのが、細やかながらも力強く震えるヴァイブレーションだ。藤圭子が歌うと声の震えは風になり、聴く者の心の壁にそっと吹いてきた。
それを可能にしたのが天性のリズム感で、そこにはロック世代が意識していたビートがあった。歌謡曲や演歌的なものを敬遠して、ロックやジャズに親しんでいた若者たちの間で、藤圭子が熱烈に支持されるようになった理由はそこにある。
古色蒼然とした歌詞であっても、彼女の歌のグルーヴはロックだったのだ。
“行き場のない孤独と切なさ”を抱えた若い男性だけでなく、いつしか女性たちにまでそうした思いが共有されたことで、歌声に振り向いてくれる人が増えていった。そうした人たちの間で密かに好評だったのが、デビューシングルのB面に入っていた「生命ぎりぎり」だった。
いかにも自嘲的な歌詞と演歌的なメロディーは、A面の「新宿の女」とまったく同じ構造。だが、どこかで突き放したように自分を見ているクールな視点、生への抑えきれない切実な思いには、たかが歌謡曲という括りを超えたリアリティが感じられた。
「飾った愛などいるものか」というフレーズには、パターン化された主人公の向こうから、瞬間的に生身の藤圭子が浮かんで来る。ハスキーな声で絞り出すように歌った瞬間に放たれるリアリティは、間もなくレコーディングされる代表作「圭子の夢は夜ひらく」にもつながっていく。
1970年3月に、ファースト・アルバム『新宿の女/“演歌の星”藤圭子のすべて』の1曲として発表された「圭子の夢は夜ひらく」は、ファンの間で圧倒的な支持を得て、有線放送などでリクエストが急増。
世間に発見されて、当時は異例だったアルバムからのシングルカットという形で10週連続No. 1という大ヒットを記録。アルバムもまた3月末から8月初めまで20週間にわたって1位をキープするベストセラーとなり、藤圭子は一世を風靡するスター歌手になった。
しかし、小さな個人プロダクションに所属していた事情で、芸能界という特別なムラ社会で酷使され続けたことによって、藤圭子はデビューから1年もしないうちに輝きを失い始めていく。
その分岐点となったのは、人気が絶頂となっていた1970年の夏にリリースした4枚目のシングル「命預けます」という歌だった。
周囲の関係者たちの「ヒット曲を生み出そう」という情熱が、いささか過剰だったのかもしれない。あるいは3曲連続のヒットチャート1位を狙っていた制作者たちの野心が、あまりに藤圭子ブームを意識しすぎたのかもしれない。
ピュアな精神、実像と虚像の狭間にあって、一途に歌うという祈りとしてのブルーズが、「命預けます」という楽曲からは感じられなかったのだ。そしていつからか“歌う力”も失われてしまった。致命的だったのは、1974年ごろに受けたポリープの手術だった。
藤圭子は、どうしてそうなったのかについて、引退を発表した後に行われたインタビューで、作家の沢木耕太郎にこんな思いを打ち明けていた。
「確かに、ある程度は歌いこなせるんだ。人と比較するんなら、そんなに負けないと思うこともある。でも、残念なことに、私は前の藤圭子をよく知っているんだ。あの人と比較したら、もう絶望しかなかったんだよ」
“あの人”とは、手術前の藤圭子のことだ。ポリープを切り取ったことで、歌手としての生命まで切り取られることになったというのである。藤圭子は、そのことについての経緯と喪失感を包み隠さずに語っていた。












