若者たちによる反抗の季節の終わり
藤圭子がデビューした1969年、日本の音楽シーンには明らかな傾向があった。
カルメン・マキの「時には母のない子のように」を筆頭に、ちあきなおみの「雨に濡れた慕情」、加藤登紀子の「ひとり寝の子守唄」、佐良直美の「いいじゃないの幸せならば」など、若い女性シンガーが歌う暗い曲調の歌がヒットしていたのだ。それらの歌の主人公に共通するのは、“行き場のない孤独と切なさ”だった。
その到達点とも言えるのが、藤圭子のデビュー曲「新宿の女」である。ありふれた夜の女の呟く自嘲的な歌詞、俗っぽい5音階のメロディーは、当時にしてもかなり時代遅れで古めかしい歌だった。
ところが、1969年から1970年にかけてこの歌を支持したのは、明らかにロック世代の若者たちが多かったのである。それはハスキーな歌声が異様なほどに生々しく、そこから伝わってくる孤独と切なさには、不思議なまでにリアリティがあったからだ。
その年の1月、全共闘の学生たちによるバリケード封鎖で、半年以上も占拠されていた東京大学の安田講堂が陥落した。第2次世界大戦が終わって四半世紀が経っても、まだ東西冷戦は続いていたし、地域間や民族間の紛争は絶えることがなかった。
ビートルズが登場した60年代前半から世界中に広がっていた、若者たちによる反抗の季節は終わりを迎えつつあった。それまでの価値観を壊そうとした文化運動もまた、新たな地平を見い出せないまま、変革のエネルギーを失って彷徨するしかなかった。
漠とした未来への希望が、儚い幻想だったことに気づいた若者たちの間で、無力感や閉塞感が共有されたのは当然の流れだった。
さほど良い楽曲とは思えない「新宿の女」を歌っていたにも関わらず、藤圭子というシンガーが発見されたのは、時代の空気感をそのまま彼女が鏡のように反映していたからだろう。












