「僧侶なのに自分の心すらコントロールできないなんて」
現実を認めたくないという気持ちを抱えながらも、家族には病気のことを打ち明けた。
「家族は心配し、支えようとしてくれましたが、やはり目に見えない病なので、私の抱える本当の恐怖までは簡単には理解してもらいにくい感覚がありました。
パニック障害という病気は、実際にその苦しみを経験した人でなければ、本当の辛さは伝わりにくいものなのかもしれません」
一方で、門徒には病気のことを伝えなかった。「お寺の信用を失ってしまうのではないか」という不安から、心配をかけまいと、病のことを隠すようにして必死に日々の勤めをこなした。
こうした「自分を律しようとする強い思い」の背景には、大矢住職が生まれ育った環境も影響しているという。
「私は3人きょうだいの末っ子で、上に姉が2人いる一人息子として生まれました。そのため幼少期から、周囲のご門徒さんや地域の方々に『将来はお坊さんね』『お寺の跡取りだから立派にね』と声をかけられ、期待されて育ちました。自分でも早くから『お寺の息子』という強い自覚を持って生きてきました」
この自覚は、自身が進むべき道を歩むための大きな支えとなった一方で、無意識のうちに「周りの期待に応えなければならない」「ちゃんとしなきゃいけない」という強い思い込みを自分に課すことにもつながった。
「この思い込みが自分を縛り、目に見えないプレッシャーとなっていたのだと思います。『立派な僧侶でいなければ』という強い理想が、病気になった自分を激しく責め立てる巨大な刃へと変わってしまいました」
「人々の苦しみに寄り添い、仏法を説く立場の自分が、自分の心すらコントロールできないなんて」――パニック障害になった大矢住職は、“あるべき自分”と“現実の自分”の間で苦しみ、自分を否定し続けた。
「後になって気づいたのですが、そういった苦しみこそが仏法のいう『自力のはからい』だったのです。浄土真宗では、自分の力だけで清らかな善人になろうとしたり、悟りを開こうとしたりする心を『自力のはからい(人間の傲慢さ)』と呼びます。
人間は本来、弱い存在であり、自分の心や体であっても、すべてを思い通りにコントロールすることなどできないからです」













