葬儀中に突然襲った恐怖…「『私は病気なんだ』という事実を受け入れられなかった」
大矢住職が初めてパニック発作を経験したのは「葬儀の最中」だった。
「今から15年ほど前のことです。お葬式で読経を始めようとしたその瞬間、突然心臓が爆発しそうなほど激しく波打ち、全身の血の気が引き、息がうまく吸えなくなりました。
自分に何が起きているのか全く理解できず、『気を失って倒れてしまうのではないか』『このまま死んでしまうのではないか』と思うほどの圧倒的な恐怖に支配されたのです」
お葬式という「絶対に逃げ出してはならない場所」で襲ってきた突然の発作。「もし今ここで倒れたら」「途中で逃げ出したらお葬式を台無しにしてしまう」という恐怖の悪循環に陥り、必死で衣の袖を握りしめ、冷や汗を流しながら何とかその場を耐え忍んだ。
なんとか無事に終えて控室に戻ると、激しい落胆と自己嫌悪が襲ってきた。
「『僧侶でありながら、お葬式すらまともにできないのか』と、自分を責める声が頭の中で鳴り響いて止まらなくなりました」
しかし、それだけでは終わらなかった。一度限界の恐怖を味わうと、脳が「お葬式=恐怖の場所」と結びつけてしまい、次の予定が入った瞬間から動悸が始まるようになり、「予期不安」と「広場恐怖」の負のループに陥った。これ以上は耐えられないと感じ、すぐに医療機関に駆け込んだ。
「初診の時は、先生が私の家族構成や仕事、趣味などを丁寧にじっくりと聞き取ってくださり、私の心をそのまま受け止める『聞き役』に徹してくださいました。
『あなたはこの病気です』と頭ごなしに断定されることもなく、『まずは薬を試して、ゆっくり治していきましょう』と、優しく言葉をかけていただきました」
当時、「早くこの不安を消し去って、元に戻らなければ」と焦っていた大矢住職だが、患者の気持ちを尊重し、背中を支えてくれるような医師の診療方針に救われたという。
それでも、自身の病を受け入れることは容易ではなかった。
「当時は副住職でしたが、『副住職が精神科に通っていると知られたらお寺の信用を失うのではないか』という不安と、『僧侶たるもの、常に平穏な心でいなければならない』という強い理想に縛られていた私にとって、クリニックに通うことは自分の『敗北』や『失格』を意味するように思えました。
処方された薬を飲むときも罪悪感があり、『私は病気なんだ』という事実をどうしても受け入れられませんでした」













