一般企業を経て31歳で気象キャスターへ
──気象予報士を目指したきっかけは?
吉井明子さん(以下同) 子どもの頃から、天気は身近な存在でした。生まれた日の朝が「台風一過の青空だった」と家族からよく聞かされていて、自然と興味をもつようになったんです。
中学生のときに天気図を描いたら、先生に「自分より上手い」と褒められて、「もしかしたら向いているのかも」と調子に乗っちゃって(笑)。
大学受験期はテレビを制限してほとんど観なかったのですが、唯一観ていたのが天気予報。ニュース番組をハシゴして観ていると、同じ「雨が降る」という情報でも「必ず傘を持ってください」と強く伝える人もいれば、「それほど降らないかもしれません」とやわらかく伝える人もいる。そうした違いを、無意識のうちに楽しんでいたのだと思いますね。
──前職は一般企業とのことですが、気象予報士になるまでの経緯は?
当時は就職氷河期でなかなか就職先が決まらず、「どうしようかな」と不安な時期が続きました。そこで思い切って、もともと興味のあった気象予報士を目指すことにしたんです。在学中にも資格の勉強をしていたのですが、卒業後半年ほど資格の勉強に専念し、無事取得。
その後1年間仙台で、気象情報の業務に携わりました。そんな中、とある地方局でキャスターの仕事が決まり、引越しの準備まで終えていたのですが、直前で前任者の方が「やっぱり辞めない」となり、話が白紙になってしまって…。
キャスターになるつもりで仙台での仕事も辞めてしまっていて、「もういいかな」と気持ちが切れてしまい、永田町の自治体関連企業で働くことになりました。
──そこから再び、なぜ気象の世界へ?
きっかけは2011年の東日本大震災です。東京で大きな揺れを経験し、かつて働いていた仙台も大きな被害に遭っていることを知り、ショックを受けました。
同時に、「人生は何が起きるかわからない」と痛感し、自分にできることにもう一度挑戦したいと思うようになったんです。当時31歳で、周囲には新しい挑戦に慎重な同世代も多かったのですが、「ここでやらなければ後悔する」と覚悟を決めました。
──そこで静岡のテレビ局のオーディションを受けられたわけですが、一般企業勤務からテレビのような人前に立つ仕事へ移ることに、抵抗はありませんでしたか。
じつは私、4歳のときから父の趣味の手品を教えられていて、6歳のときに『ちびっこスター誕生!』(日本テレビ)に出て最高得点賞をいただいたことがあるんです。
奇術愛好家の発表会に親子で出演したり、大学生になってからも父と一緒に幼稚園や結婚式で披露したりしていたので、人前に立つことにも慣れていました。
テレビ局のオーディションでも手品を披露したのですが、「もう一回見せてください!」と言われたときに「手品に二度はありません」と答えたのが、後から聞くと印象に残っていたそうです。













