飲食業界に入ったワケ

――その後、一度芸能活動から離れられています。その決断をされた頃は、どのような心境だったのでしょうか?

16歳から20歳くらいまで、本当に走り抜けたという感じで、ちょっと疲れてしまって。もう東京に行きたくない、芸能やりたくないなって。人間関係に疲れたのが一番大きかったかもしれないです。このままいくと自分は壊れるかもって思っていました。

ありがたいことに忙しくさせていただいていたので、ほぼ休みがなかったんです。お仕事をいただけることは嬉しかったことと、“休みを取ったら仕事がなくなる”っていう怖さがあって。それならもうきっぱり辞めようって思いました。

――事務所の方の反応はいかがでしたか?

めちゃくちゃ止められました。まだ残っている仕事もありましたし。最後の作品は映画『バトル・ロワイアルII 鎮魂歌』でした。生徒役で、途中まで生き残る学級委員の役です。末永遥さん、酒井彩奈さん、加藤夏希さん、真木よう子さんなど豪華メンバーに囲まれてのお仕事でした。

現場の方にご迷惑がかかるから、芸能界を引退する事は誰にも話せなくて。トータルで二年半くらい撮影があり、その後引退しました。

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――芸能界を離れたあとは、どのようなお仕事をされていましたか。

一年くらいはお休みしていたんですけど、“普通に働こう”って思ってアパレルの面接に行ったんです。でも、芸能の仕事をしていたことを履歴書に書いたら、「ああ、芸能人だったのね」ってその場で落とされてしまって。普通のアルバイトですら何個も面接落ちになりました。

――そんなことがあるんですね。その後、どのような形で飲食のお仕事に関わられていったのでしょうか?

当時、事務所のメインスポンサーだった社長さんが、関西でたこ焼き屋さんを営んでいる私の実家のお店に“元気?”って、わざわざ来てくださったんです。“今なにしてるの?”って聞かれたので、面接に落ちた話をしたら、“よかったら、うちの会社に来る?”って言ってくださって。

面接に連続で落ちていたので、本当にありがたい機会だなと思いました。私に信頼してもらうためだったのか、面接は社長、副社長、秘書、親2人と私、みたいな感じで。謎に親子面接でした(笑)。

――後編ではたこ焼き屋さんになった経緯をお伺いします。

(後編へ続く)

取材・文/佐藤ちひろ