36イニングス被安打0、奪三振62。

1972年、二度目の夏がやってきた。それも、とびきり暑くしびれる夏だ。

暑い夏に限って何かが弾け、誰かがおかしくなるものだ。だから夏が好きだという人もいる。江川卓もこの夏のことはしっかり覚えていた。

「高校2年の夏は、バランス的にも調子が良く、長く維持できました」

高校2年夏の栃木県大会は、全国に「作新江川あり」を知らしめた大会でもあり、怪物伝説第二章の開幕でもあった。3試合連続ノーヒットノーラン(うち完全試合1)。4試合目も九回までノーヒットノーランで延長11回サヨラナ負け。この悲劇性はどういう意味をもたらすのか。演出だとしても限界があるだろう。

36イニングス被安打0、奪三振62。

4試合分ヒットを打たれていない計算だ。江川自身が調子良いと思えば、人智を超えた化け物じみた記録が生まれるということなのか。恐ろしすぎる。記録は破られるためにはあるというが、この記録だけは絶対に破られないと断言できる。この大会から“怪物江川卓”が誕生した。

写真/共同通信社
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ベールを脱いだ怪物

1972年第54回全国高校選手権栃木県大会はA、Bのふたつのブロックに分かれてのトーナメントとなり、大本命の作新学院。どこのチームが江川を攻略するのかが焦点となるはずだったが、我々の想像を遥か越すほどのピッチングを見せつける。

7月21日初戦の大田原高校を9対0、13奪三振、1四球の準完全試合のノーヒットノーラン。

7月23日三回戦石橋高校を投球数105で公式戦二度目の完全試合。

7月27日ブロック準決勝栃木工業戦、自らのサヨナラ殊勲打での1対0のノーヒットノーラン。

江川は、夏の県大会3試合連続ノーヒットノーランという前代未聞の記録をひっさげて、7月28日ブロック決勝戦作新対小山のマウンドに登る。試合前から「4試合連続ノーヒットノーランなるか」とマスコミはこの未曾有の大記録に対し最大限に囃し立て、市井も便乗しまくった。

球場のスタンドは立錐の余地がない状況のなかで、午後12時50分プレイボール! 江川の剛速球が唸りを上げて襲いかかる。小山強力打線も太刀打ちできない。

三回終わって6奪三振。江川にとってもはや普通の滑り出しだ。四回裏、小山の攻撃。先頭打者がフォアボールでこの試合初めて出塁。すかさず二盗し、ノーアウト二塁。絶好の得点チャンス。だが次の打者が送りバントを空振りしてしまった。二塁走者は飛び出しておりタッチアウト。

「おいおい、バントもできねえのかよ〜」

小山ベンチではバント失敗の打者を責めるというよりも、バントもできないほどの江川の球の速さに呆れ返っていた。

「横から見ていても球が浮き上がっていましたから」

小山のキャッチャー金久保孝治は、江川が3試合ノーヒットノーラン(うち完全試合1)の大記録をひっさげて登板し、九回までノーヒットノーランでも負ける気はしなかったと言う。強気の発言かと思い、ことあるごとに何度も聞き返したが「向こうも点は取れないから負ける気はしなかったですね。ただ長くなるなぁ〜と思いましたけど」