加勢大周さんを知らずに「新加勢大周」としてデビュー

―― 1993年、トレンディ御三家と呼ばれた俳優・加勢大周さんの独立騒動をめぐり、坂本さんが“新加勢大周”としてデビューされ、注目を浴びましたね。
 

坂本一生(以下、同) そう、きっかけはスカウトだったんだよね。オーストラリアに留学していたんだけど、帰ってきた時に成田空港で、事務所のマネージャーから突然、「タレントになりませんか?」って、名刺を渡されて。

当時は携帯もネットもなかったし、海外にいたから加勢大周さんがどんな方かも知らなかった。事務所からは「お前を新加勢大周としてデビューさせる!」と言われて、何も情報がないまま、あの記者会見が行われて。

まさか、あんなに大勢の報道陣がいるとは思わなかったから、正直どうしていいかわからなかったんだよね。

インタビューに応じる、現在の坂本一生さん(撮影/集英社オンライン)
インタビューに応じる、現在の坂本一生さん(撮影/集英社オンライン)
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――加勢大周さんのことを何も知らないまま、「新加勢大周」として芸能界デビューされたんですね。

もし、自分が日本にいて、加勢さんのことを知っていたら、絶対にあの名前でデビューはしなかったよ。だって、そうでしょう? 今で言えば、木村拓哉さんとか、福山雅治さんの名前に新をつけて「新・木村拓哉」ってデビューするようなものですから(笑)。今、同じことをしたらネットで大炎上だよ。

――確かに、今、当時と同じことをしたら大問題になりそうですよね。

それに、あの時は業界用語どころか敬語の使い方すらも知らなかったから大変だった。記者会見で、「◯◯はご存知ですか?」とマスコミから聞かれたことに対して、「ハイ!ご存知です!」なんて答えちゃったりして、それも「言葉遣いがおかしい」なんて叩かれたりね。

加勢大周さんが白いシャツを着ているのがトレードマークだったから、逆に僕は黒いタンクトップで筋肉タレントとして対抗して出る形になったり、今思うとメチャクチャだったよなぁ。

1993年、事務所から独立した加勢大周に対抗する形で新たに「新加勢大周」と名付けられデビュー(写真/産経新聞社)
1993年、事務所から独立した加勢大周に対抗する形で新たに「新加勢大周」と名付けられデビュー(写真/産経新聞社)