橋本がこだわった“ブルー”
実はこの歌は用意周到にされたものではなく、レコーディングの前日に生まれたというから驚く。
「明日までに作ってくるように」とレコード会社から依頼され、詞先の制作だったにも関わらず、歌詞がまったく思い浮かばなかった橋本は、自然に横浜へ足が向いていたという。
ところが昼間の横浜からは何のインスピレーションも感じない。その時に思い出したのが、前年に出掛けたフランスのカンヌで、澄んだ“ブルー”の海の中に飛び出た滑走路に飛行機が降り立つ、夢のような美しい風景だった。
橋本は以前、ニューヨークの美術館で見た「ピカソの青の時代」にいたく感動し、以来“ブルー”に取り憑かれていた。
そして夜になって港の見える丘公園へ行き、そこから川崎の工業地帯や錆びた貨物船を見つめた。“ブルー”の灯りがひっそりと点滅していた。
憧れの地と目の前の光景が、こうして“重なり合った”のだ。
橋本は大桟橋近くのホテルのロビーで歌詞を綴り、赤電話で筒美に伝えた。作曲家は徹夜でメロディーを乗せて、新曲『ブルー・ライト・ヨコハマ』を完成させた。
「明日の幸せより、今が最高の幸せという歌にしたかった。それが時代にマッチしたのでしょうか」(橋本淳)
この歌は、作詞家・橋本淳にとっても、『ブルー・シャトウ』(ジャッキー吉川とブルー・コメッツ)に次ぐ大ヒットとなった。橋本がこだわった“ブルー”によって、一つの街の色が変わった。『ブルー・ライト・ヨコハマ』の大ヒット以降、横浜の夜景はブルーが基調となった。
文/TAP the POP
引用元・参考文献
『筒美京平の記憶』監修/馬飼野元宏(ミュージックマガジン)
『レコード・コレクターズ』2025年9月号(ミュージック・マガジン)
『東京歌物語』(東京新聞出版局)













