10分ルールへの疑問

店を切り盛りする中で、山迫さんには納得できないルールがあった。「作って10分過ぎた商品は捨てる」というマニュアルの規定。客を待たせないよう、完成したハンバーガーを店頭に並べて販売していた。

「食べられるのにもったいない」。米国の本社から来ていた社員に訴えると、一蹴された。「これがマクドナルドのやり方だ」。店長としての甘さを突きつけられた気がした。

廃棄を減らし、利益を上げるにはどうしたらいいか──。曜日や天候、時間帯から客足を予想。周辺のイベント情報も集めるようになった。「マニュアルにない工夫の大切さを知った」

店のにぎわいは、新たな火種を生んだ。「見苦しいわよ」。銀座三越に顧客から、立ち食いの苦情が寄せられる。「放っておくとまずい」。歩行者天国の日は、座って食べられるよう、道路にイスやパラソルを設置した。

昼過ぎになると、三越の担当部署や近くの交番に足を運び、アップルパイとコーヒーを差し入れた。ポイ捨てを防ごうと、数十個のゴミ箱を路上に置き、清掃専門のスタッフも20人雇った。「摩擦が生じないよう必死だった」

アルバイトだった市東(しとう)宗男さんは「山迫さんは100人以上いたスタッフの名前を全て覚えていた。調理、接客、事務と何でも完璧にこなすスーパーマンだった」と話す。銀座店は72年10月8日、一日の売り上げが222万1160円に達し、全世界の店舗の新記録を樹立した。市東さんは「一日中、パティ(肉)を焼き続けた。お祭り騒ぎだった」と懐かしむ。

現在は世界100か国以上で36,000以上の店舗を展開している (写真/shutterstock)
現在は世界100か国以上で36,000以上の店舗を展開している (写真/shutterstock)
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この歴史的な日に山迫さんは立ち会えなかった。その半年ほど前、ハンバーガー大学への転勤を命じられた。増え続ける店舗に送り込む社員の育成が役割だった。

「教えられるのは自分しかいない」。記憶に残りやすいよう、映像を使った研修を取り入れた。店舗実習で、作り方を実践して見せた。「失敗も成功も、自分の経験の全てを伝えたいと思った」と振り返る。

学長になって伝えたのは、笑顔の大切さ。自分が入社直後の研修で言われた時はピンとこなかったが、現場で痛感した。「笑顔が出るほど余裕を持たないと、いい仕事はできない」

1号店から始まったその伝統は、脈々と受け継がれた。80年代に大阪のスタッフの発案で、「スマイル0円」としてメニューに加わり、マクドナルドの代名詞になった。

「ご愛顧いただき、ありがとうございました」。銀座店は84年11月、最後の営業日を迎えた。集まった人から拍手が湧き起こる。山迫さんも駆けつけていた。「一つの時代が終わった。本当に寂しかった」

閉店の理由は、三越側との契約の終了だった。周辺の店などが、客の立ち食いやゴミのポイ捨てを問題視。「街の美観を傷つける」との声が上がっていた。オープンから13年、銀座に新風を吹き込んだ店は姿を消した。