味も見た目も「未知との遭遇」

振り返れば、ハンバーガーに縁のある人生だった。東京都町田市の私立中学で寮生活を送っていた時、所属する卓球部が、相模原市にあった在日米軍施設「キャンプ淵野辺」での大会に招かれた。

試合後、食堂に山のように積まれた肉が運ばれてきた。隣の米兵がパンに挟んで食べている。まねしてかぶりつく。「何だこれは」。思わず声を上げ、仲間と顔を見合わせた。

「香ばしいにおいと味が押し寄せ、口の中でとろけた。食べ物の名前はもちろん、何の肉なのかもわからなかった。未知との遭遇だった」

青山学院大学を卒業後、トヨタ系の自動車販売会社に就職した。そこで出会った友人に「繊維の貿易を手がけよう。男ならロマンを求めようぜ」と誘われ、会社を辞めた。渡ったのは、米国だった。

「安くておいしい食べ物がある」。ロサンゼルスで友人に連れられ、店に入った。注文したのはハンバーガー。かぶりつくと中学時代の記憶がよみがえった。「脳が味を覚えていたんだろうね。うまくて感動したよ」。店の看板を見た。マクドナルドと書かれていた。

アメリカの第1号店は1948年にルート66沿いの田舎町、カリフォルニア州サン・バーナーディーノで誕生した (写真/shutterstock)
アメリカの第1号店は1948年にルート66沿いの田舎町、カリフォルニア州サン・バーナーディーノで誕生した (写真/shutterstock)

仕事は暗礁に乗り上げていた。帰国するしか道はない。ちょうど1970年の大阪万博を控えていた。メキシコのパビリオンで、案内役のアルバイトとして働き、食いつなぐ。終わると無職になった。

働き先のあてはない。ある朝、自宅で新聞を読んでいると、見覚えのある「Mマーク」が目に留まった。日本マクドナルドが事業を始めるにあたり、店長ら幹部社員を募集しているという求人広告だった。

あの味を思い出し、胸が高鳴った。「赤い糸なのかもしれない」。だが、英語と論文の試験会場で落選を覚悟する。数百人が集まっていた。手応えはなかったが、面接も突破。10人ほどの合格者の一人に選ばれた時、29歳になっていた。