家康の神としての名前は「東照大権現」
神学というのはキリスト教で使われる言葉ですが、簡単に言えば、イエス・キリストはなぜ神であるのか、ということを研究する学問です。
神学では、イエスが人間ではない理由は明確です。イエスが十字架に磔にされ殺された後、復活しているからです。人間なら復活することなど不可能です。人には不可能なことを行えたのは彼が神だからである、というわけです。
信長は、こうした多くの人を納得させる神学を確立させることができませんでした。そもそも神学が必要だということ自体、わかっていなかったのかもしれません。
しかし、そんな信長の試行錯誤を近くで見ていた徳川家康には、信長に欠けていたものが見えていたのでしょう。
徳川家康もこの時代の日本人で、しかも相当頭のいい人ですから、天皇を超えるためには神にならなければいけないという理屈は理解したはずです。それに加え、信長を見ていて、彼に欠けていたものにも気づきました。問題は、どのようにして一般大衆を納得させるだけの神学を確立させるかです。
家康が賢いのは、ここで宗教的ブレーンとも言える天海僧正を採用したことでした。宗教の問題は宗教の専門家に任せたのです。これによって家康は、見事に自己神格化に成功しました。
成功の秘密は、彼の神名を見るとわかります。
家康の神としての名前は「東照大権現」。この「権現」というのがカギなのです。
権現とは何かと言うと、人間界の不幸を救うために、仮に人間の形をとって地上に降りてきた神を意味する言葉なのです。
つまり、天海僧正は、「家康様は乱れに乱れた戦国の世で苦しむ多くの人々を救うために、仮に人間の形となって地上に降りてこられた権現様なのである。だから人間のように亡くなったのではなく、その使命を終えたので、本来の姿である神として天上の世界に帰られたのだ」という神学を構築したのです。
見事な説明です。これなら誰でも納得すると思いませんか。
実際、人々はこの神学を受け入れ、家康は神になりました。
さらにもう一つ、この神名には大きな意味が込められています。
東照大権現。私たちは通常、この神名を「トウショウ」と読んでいますが、それは本来は日本にはない音読みです。日本古来の読み方である訓読みでこれを読んでみてください。「アズマテラス」になりますよね。
もうおわかりでしょう。つまりこの東照大権現という神名は、次のように主張しているのです。
これまで日本という国は、アマテラスの子孫である天皇家が治める国であった。しかしこれからは、権現様、つまりアズマテラスが地上に降りてきたときに、人間の女性と交わって生まれた子孫である徳川将軍家が治める国となった。
だからこそ徳川家は、260年も続いたのです。
徳川家康は、信長にもできなかった自己神格化に成功しました。
しかも、家康は死の直前に「自分が死んだら、日光に関八州の守護神として祀れ」と遺言しているのです。
この意味がおわかりでしょうか。
家康は、生前に自らの意志で宣言することによって神になった、ということなのです。
こんなことを試みた武士は、日本史上、信長と家康の二人だけ。そして成功したのは、家康ただ一人です。
文/井沢元彦