生活費を稼ぐために日本人向けピアノバーで働く
「決してあなたのことを忘れない」という意味を持つ日本語の歌に、シンディ・ローパーが最初に出会ったのは1982年のことだった。
1980年にブルーエンジェルというバンドでデビューしたまではよかったが、タイミングが悪いこともあって、どこからも認めてもらうことができなかった。
そしてシンディは、生活費を稼ぐためにニューヨークにある日本人向けピアノバー「MIHO」で働くことになった。
働くきっかけとなったのは、雑誌『LIFE』の1982年3月1日号(表紙/エリザベス・テイラー)に掲載された、「ガール・ロッカーズ」の特集で、ゴーゴーズやプリテンダーズと一緒にシンディも取り上げられたからである。














