アイドル恵中瞳がデビュー10周年
大きな瞳にキュッとしたあご、スラリとした脚。ポップスから民謡、演歌まで歌いこなせる抜群のリズム感と歌唱力。持ち歌はすでに110曲あまりもあり、カラオケでも配信されている。
「アイドル」としては脳内にクエスチョンマークが浮かばなくもない年齢だが、俳優の石原さとみは38歳、毎年コンサートでミニスカートを披露している歌手の森高千里は55歳である。
多様性が受け入れられるようになった現代としては、まだまだ弾けていてもおかしくない年頃といえよう。
そんな恵中さんは、現事務所に所属し、CDデビューをして今年で10周年になるという。
出身は宮城県仙台市。3人きょうだいの長女で、小さなころから歌うことが好きな少女だった。
「下に弟と妹がいます。弟は6歳年下で、妹は8歳年下です。私が小学生のころまでは、父と母と、おばあちゃんの6人家族でした。
仙台市泉区というところの出身なのですが、実家の近くは、山や田んぼがあって、とってものんびりしている場所。少し行くと海もあって、よく父の海釣りについて行ったりしましたね。
父は(歌手の)伊藤咲子さんの歌が好きで、釣りをしながらよく伊藤さんの『ひまわり娘』なんかを口ずさんでいて、私もそれに合わせて一緒に歌ったものでした。
でも、家ではこぶしを回して演歌ばかり歌っていたんですよ。今考えると不思議ですよね(笑)」(恵中さん、以下同)
恵中さんが本格的に歌に興味を抱いたのは、幼稚園のころ、祖母に連れられて行った近くの市民会館で行なわれた民謡コンクールへ行ったことがきっかけだった。
「地元に伝わる民謡『さんさ時雨(しぐれ)』を聞いて、子どもながらにとっても感動したんですね。大人になったら歌を歌う人になりたい、でも私なんか無理だろうな…って」
とはいえ恵中さんの歌唱力は、10代のころから周囲も認めるほどだった。当時憧れていた歌手は、「倖田來未さんやいきものがかりさんで、よくカラオケで歌っていた」という。
高校入学時から学校の友人らとバンド活動を始めた恵中さん。だが、高校生レベルではない彼女の歌の才能を埋もれさせてはもったいないと、同級生の仲介で、地元の若者達が結成したバンドに、ボーカルとしても参加するようになる。
「酪農家や農家の方たちと結成したバンドで、女性は私だけでした。シティポップ系をカバーしたり、メンバーが作詞作曲したポップスのオリジナル曲も歌いました。
酪農家の方の仕事場で練習していたこともあって、その合間に牛に乗せてもらったりして、楽しい思い出ばかりです。
でも、みなさんが忙しくなってしまって、自然消滅してしまいましたね。解散はしていないので、いつか再結成できたらいいと思っているのですけれど」
大きな瞳をキラキラさせながら、思い出を楽しそうに語る可憐な恵中さん。さぞやモテたのでは?
「ええ!全然ですよ。高校の同級生の男子に、『お前は、ひとつひとつのパーツはいいんだけど、配置がな〜』なんて言われたくらいなんですから」
まさに少女漫画のように甘酸っぱい高校時代を送った恵中さんだが、青春時代に区切りをつけるかのように、地元の建設会社に就職をする。歌い人になる夢はどこへ?