今も忘れない瀬古利彦への感謝
実際、即戦力ルーキーの武井君と櫛部君は、1年目のトラックシーズンから関東学生陸上競技対校選手権大会(関東インカレ)や東京六大学対校陸上競技大会などでエンジのユニフォームを着て活躍していた。
その傍らで、同じスポーツ推薦の立場ながら、私は補助員や応援要員でしかなかった。走れない期間、2人との差はどんどん大きくなっていった。
元気のない私を見かねて、瀬古さんは頻繁に声をかけてくれた。
瀬古さんはポイント練習のある日しか所沢には来なかったが、ケガで走れない私にも必ず声をかけてくれた。
「花田、足の調子はどうだ? 落ち込んでいてもしかたないから飯でも食いにいこう」そう言って、練習後に都内で待ち合わせて食事をご馳走してくれた。
また、瀬古さんから紹介された治療院の帰りには、瀬古さんが監督をしていたエスビー食品陸上部のクラブハウスに呼ばれ、夕食をご馳走してくれたこともあった。
ケガが良くなって、ようやく試合に出られるようになったのは7月だった。
その期間、腐らずにリハビリを続けられたのは、そうした瀬古さんのサポートがあったからだと今も感謝している。












