あえて恋愛要素を抑え、戦うオスカル描いた理由
公演前、読売新聞の取材に対し、プロデューサーのキム・ジウォン氏は「同作を手掛けるEMKミュージカルカンパニーは、史実を基にしたグランドミュージカルが得意」と語っており、だからこそ「フランス革命」を成し遂げた民衆のパワーをメインにしたのだろう。
さほど大きなサイズの舞台ではないのに、CGの使い方が見事で、奥行きのある宮殿の内部が展開されたりして、思わず「本物…??」と見入ってしまう。
クライマックスは、宝塚版でも、壮絶に美しい朝美絢のオスカルが気迫の演技で魅せた、バスティーユ襲撃のシーン。しつこいようだが韓国語はひと言もわからない。
わからないけれど、「自由と平等」のために命を投げ出す主人公オスカルの、全力の演技に叩きのめされたようになり、嗚咽を抑えるのに必死な状態…。素晴らしい歌唱に、客席から「ブラボー!」の声が飛ぶ。ラストは客席全員が総立ちの拍手で幕が下りる。
通称「今宵一夜」のシーンが無い、と残念がる原作ファンもいると聞く。フェルゼンに片思いし、ジェローデルに求婚され、幼馴染のアンドレへの思いに気づき心が揺れる原作のオスカルだが、韓国版のオスカルは、恋も怒りもすべてを闘うエネルギーに昇華させ、フランス革命に向かっていくかのように感じた。
あえて恋愛要素を抑え、誰にもすがらずに先頭に立って戦うオスカルを描いたのはEMKの指向なのか、それとも、OECD=経済協力開発機構の中で、「女性の管理職者の数が日本に次いで低い」韓国の女性達にくすぶる怒りに寄り添ったのものなのか。
もし後者であったなら、連載開始以来50年の間、『ベルサイユのばら』に勇気づけられ、「自由と平等」を手に入れるべくさまざまに努力を重ねてきた日本の女性達同様、韓国の女性達もまた、オスカルの立ち上がる姿に心を奪われるのだろう。がんばれ私達、と、ついついエモーショナルになり、ダダ泣きし続ける。
長きに渡り繰り返し演じられてきた、宝塚版の「オスカルとアンドレの戦死~アントワネットとフェルゼンの牢獄の別れ」のシーンで何度も泣かされてきた私だが、ここではさらに隣の国の闘いの歴史への思いも相まって、2倍涙があふれたのかもしれない。