仕事上のトラブルで店舗・自宅・家財道具を失う
礼儀正しく、知的な言葉遣いで状況を説明する福谷さんは、十分な社会生活能力を持っているように見える。どうして車上生活に至ったのだろうか。
音大進学をきっかけに故郷の山梨から上京した福谷さんは、ファッション写真家を目指して撮影アシスタントの仕事を始める。フリーランスとして独立後、映像撮影で数百万円規模の依頼も受注できるようになり事業を法人化。一方で業界特有の価値観や人間関係に馴染めないものを感じていたという。
同じ頃、日本のスナック文化に興味を持ち始めた。
「おもしろい説があって、欧米に比べて日本にメンタルクリニックが少ないのは、スナックがその役割を担っているからだと。
僕も人が集まる場所が好きで、思考や感情をアウトプットして脳のゴミをきれいにするというのを無意識にやっていたと思います。何度も通ううちに、もっとこうしたらいい店になるんじゃないか、という考えも出てきて」
福谷さんは東京・小岩にスナックをオープンする。その読みは当たり、時代は「ネオスナック」ブームに。いずれは20店舗…と夢を抱いて山梨に2号店をオープンし、東京と行き来する2拠点生活が始まった。しかし、3号店の準備中に事件が起こる。
「1号店を任せていた人が“飛んで”しまったんです。事務所はもぬけのから。僕も新店準備で『次に次に』と気持ちが先走っていて、細かく見ていなかったのも悪かったんですけど、店舗名義の勝手な契約や家賃滞納もわかって」
少しでも損失の穴埋めをしようと、3号店の開店や撮影業務に奔走しながら事業の再建を図っていた福谷さんを、さらなる出来事が襲う。
「近しい人に資産を持ち去られてしまったんです。自分の家なのに入れない、解約もできない、店の鍵も金庫も通帳もない、そんな状態になってしまって。そもそも最初の事件以来、ぎりぎりの自転車操業だったんです。警察、弁護士、銀行、カード会社、不動産管理会社、市役所…あらゆるところに相談しましたが、1円も戻りませんでした」
坂を転がり落ちるように、家も職も人間関係も失った福谷さん。生活に必要な支払いを後回しにし、事業資金に充てていたことも裏目に出て、気づけば身動きがとれない状態になっていた。
「実家は頼れなかったです。僕がホームレスであることは知っているはずですが、とくに反応はありません。生活保護のことも教えてもらいましたが、家は自分で探さないといけない。
見通しのないまま車での生活が始まって、朝から晩まであちこちに電話をかけ続けても解決せず、心が折れてしまった。精神科を受診したら『うつ』とは言われましたが、まずは状況を改善しないと治らないと…」