現代社会とも響き合う、
自分とは違うものへの偏見
―― 幼い頃の千代は、人と異なる外見のために鬼の子として差別されていました。また浮雲たちが滞在する滝川寺の僧侶たちは、鬼に怯える村人たちによって嫌がらせを受けています。現代とも通じるような、マイノリティへの差別や偏見の構図が浮き彫りにされていきます。
まさに現代にも置き換えられる話ですよね。SNSでもこの人は叩いていい相手だとなったら、すごい勢いで攻撃が集中するじゃないですか。人と違うことに対する拒絶感がすごい。昔の村社会もこんな感じだったんだろうなと思います。これは朝井リョウさんの『正欲』に書かれていてなるほどと思ったんですが、「あいつやばいよね」「そうだよね」と言い合うことは一種の確認作業なんでしょうね。自分は正しい側にいるんだと確認することで、安心したいという気持ちの表れです。
―― 千代への差別を知った宗次郎の「変なの」という反応が印象的です。宗次郎にとって重要なのは相手が強いか強くないか。見た目の違いはまったく関係ない。しかし宗次郎のように、偏見から自由になるのは難しいですね。
この作品の沖田総司 (宗次郎)の書き方を、天然理心流の館長がすごく誉めてくださいました。生まれついての天才って、本当にああいう感じらしいんです。命のやり取りをするような局面でも、まるで遊んでいるように振る舞う。そこは同じ天然理心流の使い手でも、土方と大きく違うところです。重いものを背負った人がたくさん出てくるシリーズなので、宗次郎の無邪気さは救いですよね。
―― このシリーズには黒幕的なキャラクターが二人登場します。幕府側に立ってさまざまな策を弄する呪術師・狩野遊山 と、千代の背後にいる朝廷側の陰陽師・蘆屋道雪 。この二つの勢力がそれぞれ土方を引き入れようと接触してくる。大きな歴史のうねりの中で、土方は決断を迫られます。
これまでは両方と距離を取ってきましたが、それが許される状況ではなくなってくる。それは土方だけじゃなく、遼太郎にしてもそうですよね。ゆくゆくは自分の立場を明らかにして、敵味方をはっきりさせないといけない。その意味でやっぱり浮雲という主人公は異色なんですよ。信念を持って「どっちつかず」を貫いているので。それは卑怯ともいえるんですが、人を殺すのを徹底して避けるというのもひとつの生き方ですよね。ある意味、現代っぽい価値観ともいえる。人の命が簡単に奪われた時代だからこそ、そんな浮雲の存在感が際立つのかなとも思います。
―― やがて宿場町を騒がせていた鬼の正体が判明。浮雲によって明かされる事件の真相は、この時代ならではのトリックが使われていて、シリーズ内でもかなり本格ミステリー度が高いものになっています。
ミステリー的な技術については、新潮社で『ラザロの迷宮』を書いた時に新井さん(新井久幸氏。新潮社の編集者として多くのミステリー作品を手がける)にかなり鍛えられましたから(笑)。手がかりは前の方に置かないといけないとか、伏線は分かるように書くべきだとか。その教えが残っているので、ミステリーとしての精度はこれまで以上に上がっていると思います。今回は物語よりも先にトリックができていましたね。鬼に子供が襲われているという状況を使って、何ができるんだろうと考えて、あの部分の仕掛けを思いつきました。現代では成立しないトリックなので、このシリーズらしい真相になったなと思っています。
―― トリックもそうですが、動機の部分がかなり衝撃的ですね。人が一線を踏み越えて、鬼になってしまう怖さや悲しさが伝わってきます。今回はいつにも増して、人間のさまざまな業 を感じさせる事件でした。
それこそ京極夏彦先生みたいに、事件から登場人物の心理、物語のテーマまですべてをひとつの妖怪に象徴させて、なおかつ読者の認識をぐるっと変えてしまうような小説が理想です。あそこまで完璧なものはできなくとも、鬼を扱った必然性やそこから生まれる感情、情念みたいなものはしっかり込めるように意識しました。今回の反省点があるとすれば、いつもよりシリアスになってしまったこと。重たい事件ですし、土方メインの話なので仕方がないとはいえ、もうちょっと浮雲に軽口を叩かせてもよかったかもしれない。浮雲と土方の軽妙な掛けあいもこのシリーズの楽しさだと思っているので、次回はもう少し増やしたいですね。
物語も佳境、次巻ではいよいよ京都へ
―― 物語のクライマックスでは、〝狼〟と呼ばれていた土方が〝鬼〟になる瞬間が訪れます。シリーズにとっても、またその後の日本の歴史にとっても大きな転換点ともなるシーンです。
このシーンはずっと前から考えていました。土方がある人物を守るために、とうとう一線を越えてしまう。書きたかったシーンが書けて満足しています。それと関連して遼太郎の変化も描くことができました。これまでは逃げ回っているばかりでしたが、次期将軍になるほどの人ですから当然剣術指南も受けていて、戦っても強いはずなんです。これまでと大きく変わった土方と遼太郎が、次の巻でいよいよ大きなうねりの中に飛び込んでいくことになります。
―― 神永さんは代表作の「心霊探偵八雲」をはじめ、多くのシリーズを併行してお書きになっていますが、「浮雲心霊奇譚」にしかない魅力といえばどこになるでしょうか。
時代が持つ熱量やダイナミックさは、現代劇では絶対に出せない部分ですよね。侍が刀を下げて歩いていて、罪人の斬首が庶民のエンターテインメントだった時代ですから、現代とは倫理観も価値観もまったく違います。それは物語のテイストにも絶対影響しますよね。携帯電話や警察の科学捜査がないというのも大きいです。「心霊探偵八雲」ではいつもその部分の整合性で苦労していますが(笑)、「浮雲心霊奇譚」はいい意味でアバウトでも許される。そこが力強さを生んでいるのかなと思います。
―― 次巻はついに京都編でしょうか。浮雲、土方、遼太郎がどんな事件に巻き込まれ、幕末の京都でどんな役割を演じるのか。今から楽しみです。
今回は地域色をあまり出せませんでしたが、京都には京都ならではの怪異が山ほどあるでしょうからね。京都に根付いた怪異や事件を取り上げたいと思います。まだまだこのシリーズは面白くできる、という手応えがあるんですよ。毎回インタビューを受けるたびに同じような話をしていますが、もっと上を目指したい。他の作家さんの書いた面白い小説を読むと、刺激を受けますし、負けていられないと思います。最近は連城三紀彦先生の作品を読んで、さりげない文章の向こうに広がる情念の世界に圧倒されています。普通、デビュー二十年を迎えると作風が安定するものらしいですが(笑)、僕はまだまだ変わるつもりですし、進化できるとも信じています。