正当化される中年男性への差別
─自分に似た立場の方と、助け合っていこうと思うことはありますか。
「かつてはそう思っていました。僕も、20代のときは、同じように性暴力の被害に遭った方の自助会に参加したり、友達をネットで探したりしていたんですよ。それが、30代から急にできなくなってしまって。新しい場所に自分から踏み込むエネルギーが減ってしまったんだと思います。
出会いの数が減るから知り合いが減って、そのまま友達も減って。そのまま40代です。そうなると、もう居場所がない。たとえば社会人が集まる趣味のサークルに参加しても、そこでは10〜20代が中心になっているんです。40代の僕が参加したからって否定はされないけれど、勝手に萎縮してしまう。なんででしょうね。場違いに感じるんです。
僕は20代のとき、いろいろなイベントに顔を出していました。で、そこには40〜50代の人もいたんですよ。でも、めちゃくちゃ浮いていたんです。
まれに『よかったら仲間に入れてよ』と、40代くらいの男性に言われることもありました。でも、怖いんですよね。清潔感もなくて、仕事をしてるかもわからない40代が急に顔を出してくるのって。それで、サークルの女性が怖がっちゃって。当時の僕は、『ごめんなさい、ちょっと怖がってる人がいるんで……』と、その人たちが参加するのを止めてしまっていたんです。
今思うと、かわいそうなことをしたなって思います。でも、僕は僕で、排除する側だったんですよ。だから、いざ40代になった僕が排除されても『ああ、僕の番が来たんだな』と思って、納得しちゃうんです。それが、理不尽には思えないんですよね。だって、現に40代の男性がいきなりコミュニティに首を突っ込むのって、怖く見えるわけですから」
そう、中年男性は怖い。怖く感じられるだけではない。怖いと公で表明することが正当化されている。しかし、これは直球の差別にすぎない。場所と時代が違えば「黒人は怖い・同性愛者は怖い・部落出身者は怖い」と言われてきた歴史を、繰り返しているにすぎないからだ。
だが、吉本さんのように差別されることを仕方なしと受け止める男性も多い。中年男性自身も、社会に存在する差別を内面化してしまっているのである。
文/トイアンナ