①今や大物のMC芸人たちが必死に汗をかいてがんばっていた!

やはり、まず語っておかなければいけないのは、レギュラー・準レギュラーだった芸人たちの豪華さ。

レギュラーのさまぁ~ずは、当時もさまざまなテレビ番組に呼ばれてはいたが、現在のように多数の冠番組やMC番組を持つほどの大物ではなかった。

出川哲朗やくりぃむしちゅー・有田哲平などもすでにそこそこ売れてはいたが、今のように数々のゴールデン番組を任されるほど大ブレイクすることを予想できていた人は少なかっただろう。

なかでも放送当時と現在のギャップが大きいのはバナナマンや有吉弘行。特に有吉は猿岩石として大ブレイクするもその後、一気に仕事がなくなり、どん底にいた時代だった。『内P』で爪痕を残すことでテレビ露出が回復し始めたこともあり、有吉は内村やさまぁ~ずを「命の恩人」と称するほど感謝しているのだ。

『白い雲のように』(日本コロムビア、1996年発売)のジャケット写真。この曲はミリオンセラーになったが、その後、芸人としての仕事がなくなった時代に『内P』に出演していた有吉
『白い雲のように』(日本コロムビア、1996年発売)のジャケット写真。この曲はミリオンセラーになったが、その後、芸人としての仕事がなくなった時代に『内P』に出演していた有吉

そんな今やMCクラスとなった芸人たちが、内村からのムチャ振りに焦りながらも懸命に応え、必死に汗をかきながらなんとか笑いを生み出そうともがきまくる。精神的に追い込まれるだけでなく、温泉や風呂といったシチュエーションでは全裸で奮闘するなど、文字どおり体も張っていた。

現在はゴールデンの冠番組でビシッとスーツを着こなして司会進行しているMC芸人たちが、とにかく目の前の笑いを取るためだけにガムシャラに挑み続け、輝いていたのが『内P』なのだ。

7月28日には「復活SP」の出演者内定発表会見が開催され、内村、さまぁ~ず、ふかわ、ヒコロヒー、さらば青春の光が出席したが、ここでも内村からの指令として恒例のムチャ振りが発動。

芸人たちが記者からの質問に答える際に“縛り”が設けられ、即興大喜利会見の様相を呈していた。もちろん今では大物となったさまぁ~ずもムチャ振りされたのは言うまでもない。