MTVは音楽業界の仕組みを変えていった
レコード会社が作り方自体を模索していたビデオクリップにも、1980年代中頃になると次の段階がやって来る。
知名度の高いアーティストを中心に、それまでの宣伝ツールから、“作品主義”として転化する動きが本格化。
例えば、マイケル・ジャクソンの『スリラー』は約15分にも及ぶ映像作品で、通常予算の10倍とも言われる莫大な制作費が投下されていた。
もはやライブやステージでの演奏を単に撮影するだけでは視聴者は満足しない。ドラマチックな演出や目を見張るような加工が必要なのだ。
1984年から開催されたMTVアワードの設置によって、音楽ビデオを専門に手掛けるMVディレクターというクリエーターの存在にもスポットライトが当たるようになった。
こういったビデオクリップが提供する世界観は絶大な効果を生み、曲が収録されたアルバムには驚くべきミリオンセラーやロングセラーが続出。
プリンス、マドンナ、ホイットニー・ヒューストン、ヴァン・ヘイレン、ボン・ジョヴィ、フィル・コリンズ、ジョージ・マイケル、ブルース・スプリングスティーン、ヒューイ・ルイスなどが全米だけで1000万枚規模のセールスを記録したのは、この影響力なくして語れない。
もともと映画という背景がある『フラッシュダンス』や『フットルース』をはじめとするサントラ盤の大量ヒットも、この時代の必然だろう。
こうしてMTVはヒットチャート至上主義的な編成に偏っていくが、そんな徹底した商業的な動向は、次第に反骨精神旺盛なインディーズ・バンドたちをカレッジ・ラジオによる独自のネットワークへと向かわせ、後に「オルタナティヴ・ロック」として彼らにメインストリームを逆転されてしまうのは、何とも皮肉な出来事だった。