雑誌の歴史を真空パックしているような場所だった!
都立多摩図書館は1階がオープンスペースとなっていて、国内外の雑誌、そしてこの図書館のサービスのもう一つの柱である児童・青少年用資料の本棚が多数並び、閲覧エリアや展示エリア、開架書庫などがある。
そして一般利用者は入ることのできない、バックヤードにあたる2階と3階は、巨大な本棚がみっしりと並ぶ閉架書庫になっていて、所蔵雑誌の大部分は2階に収められている。
そこは日本の雑誌の歴史を真空パックしているような場所。
今回は特別に、中を見せてもらった。
まず案内されたのは、多摩図書館が誇る創刊号コレクションの棚。古くは1877年(明治10年)からごく最近のものまで、日本で刊行された約8500誌の創刊号が、年代順に取り揃えられていた。
創刊号各一冊ずつなのに、巨大な書棚3列が埋まる膨大なコレクションである。
長年にわたり、多くの少年少女の心をつかんできた『週刊少年ジャンプ』の創刊号(1968年)も、僕の古巣である宝島社が創刊し、あっという間に出版の海の藻屑と消えた『週刊少年宝島』の創刊号(1986年)も、ここでは同列に扱われていてちょっとおもしろい。
ついでに、僕が2000年から2009年まで編集長を務めていた『smart』の棚も見せてもらった。
付録もそのまま保管しているためかなりのスペースを占めており、ちょっと申し訳ないような気分になる。
2000年代の半ばから現在まで続くファッション誌のブランド付録戦略は、僕が編集長の頃の『smart』が始めたものだからだ。
長い日本の雑誌史の中で、それがどういう意味を持つのかはわからないが、こうした公立図書館で、付録の現物をちゃんと保存してくれていることがちょっとうれしかった。
付録のせいばかりではなく、雑誌というのは基本的にとてもかさばるもの。あらゆるタイトルをデータ化でも縮刷版でも合本でもなく、売られた当時のままの現物で保管するのは、考えてみると大変なことだ。
さまざまな雑誌の中でも特に、ハイペースで刊行される週刊誌の所蔵に至っては……。『週刊少年ジャンプ』や『週刊プレイボーイ』の保管スペースは、もはや圧巻を通り越して威圧さえ感じるほどだった。
松本伊代の『センチメンタルジャーニー』でも歌われている通り、雑誌なんてものは所詮、読み捨てられてなんぼのものだ。
いくら雑誌に深く関わってきた編集者といえども(だからこそかもしれない)、雑誌は一冊の中から自分の興味のある部分だけを拾い読みし、終わったらポイっと捨ててもらえばいいものだと個人的には思っている。
古い雑誌を多数収集したり、古書店でいつも古雑誌を探し求めているマニアも一部にはいるがそれは例外で、普通の人にとって雑誌が提供した情報とは、記憶の中におぼろげに存在していればいいもの。
だから都立多摩図書館の大規模な閉架書庫に収まる大量の雑誌を目の当たりにすると、近現代日本人の記憶の亡霊と対峙しているような、なんとも妙な気分になった。