ノーパン店の発祥は大阪
そして、驚くのが今では考えられない卑猥なサービスの数々だ。
「女の子に5000円のチップを渡すと下着を脱いでくれるんですが、座席は掘りごたつだから脱いでるときは女の子の下半身が目の前にくるんです。
天井から逆さに吊るされたボトルで女の子が水割りを作ってくれるときはテーブルの四隅からプシューっと風が出てスカートがヒラリ。水割りを注文するたびに丸見えになるというシステムでした」
当時を思い出して興奮したのか、阿藤さんのボルテージがみるみる上がっていく。
「さらに5000円を渡すと女の子が隣に座ってくれる。実はテーブルの下にはリモコンで操作するカメラが設置されていて、その映像が卓上の小型テレビに映し出されるんです。ノーパン嬢の局部を狙ってリモコンを操作して、ロックオンしたらズーム……! ゲーム感覚で興奮しましたね。
1本2000円でペンライトも売っていて、それを手に10分以上も掘りごたつに潜って出てこない人もいましたね~」
そんな異常な空間でありながら、意外にもおさわりや撮影には厳しかったという。
「ある会社の外国人社員が箸で局部をつまんでしまい、その会社が出禁になったことも。あとは使い捨てカメラを持ち込んで盗撮しようとした人も出禁。私は超常連だったので、軽くタッチするくらいなら問題ありませんでしたけど(笑)」(同)
余談だが、阿藤さんが当時勤めていた会社では接待費の上限がなく、「接待」「贈答品」「現金の手渡し」と何でもあり。月に500万円は使っていたそうで、「これがバブル世代、不適切世代です!」と胸を張る。
一方、「楼蘭」の真横のビルでノーパン喫茶「マドンナ」を経営していた作家の影野臣直氏は言う。
「楼蘭は80年代にオープンした当初はキャバクラのような店でしたが、売上が低迷したためホステスをノーパンにさせて接客し始めた。おそらく1980年に大阪で開店した日本初のノーパン喫茶『あべのスキャンダル』をマネたのでしょう。それもマンネリ化して1982年ごろにしゃぶしゃぶの形態に変えたと記憶しています。楼蘭の隣には『テニスルックの喫茶室』という系列店のノーパン喫茶もありました」