世界のトップとほかの指導者たちの間にある、ほんのわずかな差
中村
前置きが長くなってしまいましたが、なぜ僕が「教えないスキル」に感銘を受けたかと言うと、引退して指導者1年目だった昨年この本に出合い、選手の晩年に自分の中で少しずつ構築していた「指導」というものへの考えを根底からひっくり返された感覚があったんです。
例えば、(佐伯さんが所属するスペインの)ビジャレアルは、長年育成クラブとして培ってきたポリシーも歴史も実績もあるのに、改めてこのタイミングで今までに自分たちの指導が子どもたちのためになっているかどうかを検証して、ああでもない、こうでもないと指導方針を抜本的に変えたという内容が書いてありました。あれだけの確固たるメソッドがあるクラブがその決断をしたことがすごいなと。引退後すぐ、指導者の駆け出しというタイミングでこの本を読めたことが自分にとっては本当に良かったんです。自分が考えていること、信じているものがすべてじゃないことは、漠然と心の中にはありましたけど、やっぱりそうだよなって。“子どもたちありき、選手ありき”という僕のスタンスがより明確になりました。
佐伯
この本、偉そうに書いていますけど、実は懺悔本なんですよね。私たちビジャレアルでは、「こう反省して、こう改善に取り組みました」っていう内容なので。私たちが指導者として能力がないのではなく、以前は、それまでの指導法しか知らなかった。今まで「Doing(やり方)」ばかりに注力してきたんですけど、指導者に問われているのは「Being(あり方)」じゃないの、いう気がしたんです。
世界のトップにいる指導者とほかの指導者たちの何が違うかと言ったら、意外と(違いは)ないんです。だってフットボールはほとんど開発されてきていますから。戦術にしても、トレーニングメニューにしてもそのノウハウだって、そこまでの差はないはず。では、どこが違うかといえば、むしろ選手との関わり方であったり、指導者としてのあり方であったり、そこにしっかりフォーカスしている人が進化できている指導者なんじゃないか、と。フットボールの話しかしない指導者は、その前のフェーズにいる指導者だと私は思っています。
中村
そもそも「育成のビジャレアル」として有名なわけですから、別に改革しなくてもいいっていう声だってあるとは思うんですけど。
佐伯
確かに(トップチームに)選手を輩出していましたけど、それでも結局は育成時代に関わる選手のわずか数パーセントなんです。だから、そうじゃなくて、プロになれないマジョリティのほうに目を向けて変わっていきましょうよ、と。そもそもトップに輩出された子どもたちだって本当に私たちの指導のおかげなのかと言ったら、全然関係ないかもしれない。そうなってくると自分の存在意義すらわからなくなってくるんです。
中村
そこから「Doing(やり方)」ではなく、「Being(あり方)」に気づいていくわけですね。
佐伯
一方的に戦術やトレーニングをレクチャーして、ホワイトボードのマグネットを一生懸命動かしていた自分から、「君だったらどうする?」と聞けるような自分になったことは圧倒的に幸せでした。私たちの育成アプローチが変わったから選手がこんなに変わったという、可視化や数値化は難しいです。だからこそ、そこは自己満足でいい。なぜなら、選手にどんなアプローチをしたのかは自分自身が一番わかっていますから。
中村
「Being」という考え、改めてそうだよなと思いました。僕は育成年代から引退するまで、幸いにも指導者に恵まれてきました。自分の個性を否定されないままやってくることができたので、自分もそうしたいし、そうあるべきだな、と。学習塾でもマンツーマン授業みたいなものがあるわけじゃないですか。だから、JFAロールモデルコーチ(アンダーカテゴリーの日本代表など若年層の強化、普及活動に携わる役職)や川崎フロンターレでの育成、「KENGO Academy」、中央大学のテクニカルアドバイザーでも、いまはチームを率いる監督という立場ではないので、全体を見るというよりは、その個人に合わせたプレーヤーズファーストでやっていきたい。自分がやってほしいことをやらせるのではなくて、彼らの選択肢を増やすために自分は存在しているんだと考えています。
佐伯
素晴らしいと思います。