監督・鈴木清順の目
その後も(なぜか)何度かおうちによんでいただき、その際は毎回「ロードショー」を持参。しばらくするとさすがに緊張も和らいで、そのとき読み終えたばかりの本『ショーケン』(萩原健一・著)の話で盛り上がり、「これ、人の悪口描いてないのに、すっごく面白いんです!」と、つい悪口好きな腹黒い自分を露呈してしまったときも、「はっはっはっ」と豪快に笑っておられました。
そう、私はこの笑い声が聞きたくて、それと「ロードショー」を開いて私のイラストを見てくれているときのあの笑顔が見たくて、会いに行っていたんだと思います。
私が間近で見た清順さんはこんな感じで、やさしくて、のんびりとしたたたずまいといった印象でしたが、一度だけ、「あのときは…なんだったのだろう…」と今でもふと思い出すことがあります。
それは、食事もお酒も一段落して、本にサインをしてもらっていたときのことです。
突然カッと目を見開いてこちらを凝視すること5秒(…もなかったと思います)。「あれ、私、今なにかまずいこといっちゃったかな…」
ちがう。
あれは怒っているとかそういう目ではなく、ただ真剣な目。
後にも先にもあの目を見たのはその一度きり。
そう、今思えばあればまさしく映画監督「鈴木清順」の目なんだ…きっと…。
などと、撮影現場など一度も行ったことのない人間が勝手にそう思ってます。
その後も折に触れ、ご自宅で一緒にお酒を飲んだり、清順さんなじみの“どぜう屋”さんでごちそうになったり。
こう書くとなんだか頻繁に会っていたかのようですが、年に1~2回程度だったと思います。
それよりもお便りのやりとりのほうが多かったです。
ポストから、あの清順さんの字で書かれたハガキを取り出すときの喜びといったら!
2017年に亡くなって、もうハガキが増えることはありませんが、一通一通、大切に箱にしまってあるのです。
鈴木清順(すずき・せいじゅん)
映画監督。1923年、東京都出身。助監督を経て1956年『勝利をわが手に』で監督デビュー。1980年『ツィゴイネルワイゼン』がベルリン国際映画祭に出品、国際的な評価を獲得。“清順マジック”と呼ばれた独特の色彩センスや強烈な作風で知られ、ジム・ジャームッシュやクエンティン・タランティーノがファンを公言している。『殺しの烙印』(1967)、『陽炎座』(1981)、『ピストルオペラ』(2001)など生涯に50本以上の作品を発表した。2017年逝去。享年93。『オペレッタ狸御殿』(2005)が上映されたカンヌ国際映画祭で、主演のオダギリジョー、チャン・ツィイーと
写真:AP/アフロ