マッチがレーサーになったワケ

その後、1994年に一般女性と結婚し、2007年に待望の第一子を授かったマッチだが、2020年11月に25歳年下の会社経営者との不倫が発覚。この責任をとるかたちで、翌年4月に40年以上所属したジャニーズ事務所を退所した。しかし、この決断にも批難の声が。前出のアイドルウォッチャーは言う。

「東山紀之さんは『退所の仕方に疑問が残る』と苦言を呈し、『ありがとうジャニーズありがとう素敵な後輩達ありがとうジャニーさん』と結んだマッチの退所コメントについても『薄っぺらく感じる』と切り捨てていました。

東山さんはアイドルとしてストイックに生きてきた人だから、自由気ままな姿勢のマッチとは相いれない部分もあったかもしれませんね」

「週刊明星」(昭和57年12月16・23日合併号。撮影/青柳宏伸)
「週刊明星」(昭和57年12月16・23日合併号。撮影/青柳宏伸)
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悪評も少なくないマッチだが、「当時、低迷していたジャニーズ事務所を救った男であり、その功績は非常に大きい」と語るのは城下氏。

「ヤンチャだけど、事務所が新体制へと移行して指針となるべき先輩がいないなか、睡眠もろくに取らずに働くなど、性格は人一倍負けず嫌い。そのがんばりもあって、ジャニーズアイドルとして初めて日本レコード大賞を受賞しています。さらに、その後レーサーになったりと枠にとらわれないアイドル像をつくりあげたのはスゴイと思います」

前出の女性コラムニストは、マッチがレーサーになった背景をこう説明する。

「車好きのマッチはもともと運転が荒く、事務所もいつ事故を起こすかヒヤヒヤしていました。マッチは”ジャニーズ事務所の長男”とも呼ばれ、メリー(喜多川)さんから『うちのナンバーワンはマッチ』と寵愛を受けてきた。周囲は誰も彼を叱ることができなかったから、荒い運転を見かねたメリーさんが『せめてレースにしなさい』とライセンスを取得させ、レースを勧めたといいます」

今も昔も破天荒なマッチ。数々の“火遊び”をしてきたからこそ、40年後も語られる存在になりえたのかも。

取材・文/河合桃子
集英社オンライン編集部ニュース班