民衆の抵抗運動を教えるイギリス
ブレイディ そういう時代に森さんが、この本の中で女性の参政権獲得運動の原点である「サフラジェット」(※2)を取り上げていることに驚きました。
私も『女たちのテロル』で書いたことがありますけど、100年以上前のイギリスで起こった抵抗運動です。しかもフェミニズムの歴史の中でも過激な活動をしていたことで、イギリスですら評価が割れているように、日本ではほとんど語られる機会がなかった。
ただ、近年は女性参政権100周年のときにイギリスで大々的なイベントが行われたり、その名も『サフラジェット』(邦題は『未来を花束にして』)という映画が公開されたりと、再評価が進みつつあります。
それは教育にも反映されていて、イギリスの学校には「シチズンシップ教育」というものがあるんです。国家が良き市民とは何か教えるという、ちょっと「うーん」という科目ですが、中学になると「サフラジェット」のことを教えているんですね。イギリスの学校の音楽室の前にセックス・ピストルズのアルバムが貼ってあったのを見た時ぐらいびっくりしました。彼女たちは当時、政府にテロリスト扱いされていたわけですから。
「サフラジェット」に関する授業では、イギリスの女性参政権は、活動家たちの過激な抵抗運動の結果か、第一次世界大戦で女性たちが銃後の守りとして活躍した結果か、どちらの影響が大きいか、エッセイにまとめなさい、という課題もありました。それだけでもびっくりですけど、授業だと「どちらも大切だった」と書いた子どもが多かったそうです。
森 子どもたちが抵抗運動の意義も評価しているんですね。
ブレイディ そうなんです。「やむにやまれぬ事情の暴力」があったから今があると教えている。「エキセン」が流行っているのは問題だけど、そういうこともちゃんと教えているイギリスはすごいなと思います。
※2:サフラジェットとは、19世紀末から20世紀初頭のイギリスで参政権を求めて戦った女性団体のメンバーたちを指す。政府の抑圧に対して暴力的抵抗も辞さなかった過激な運動で知られる。
「コメ騒動」の意義を教えない日本
森 日本はまったく教えないですよね。イギリスで女性の参政権が実現した1918年には、日本でも「コメ騒動」(※3)という民衆の抵抗運動がありました。あれは単にコメの価格高騰に怒った人々が暴れたというわけではなく、労働組合のようにきちんと組織化された抵抗運動でした。これは大正デモクラシーにもつながる重要な運動ですが、そういった意義は学校で教えられていません。
僕は『国道3号線 抵抗の民衆史』で取り上げましたが、コメ騒動って富山県の女性たちが最初に立ち上がったんです。つまり、イギリスでも日本でも女性がほぼ同時期に抵抗運動を起こしている。そんなことも教科書には書かれていません。だからこそ自分の本では、そういう「やむにやまれぬ事情の暴力」をちゃんと肯定的に書きたいと思いました。それで前は「コメ騒動」について書いたから、今回の本では「サフラジェット」について書いたんです。
話を戻すと、世界が「エキセン現象」に飲み込まれていく中で、抵抗運動を教えない日本はどうなっていくのか。以前、デヴィッド・グレーバーの翻訳者である酒井隆史さんに聞いてみたんですよ。そうしたら、「日本の政治はとっくに『エキセン』だから、誰も気づくことができないのでは?」と言われて、ずっこけそうになったことがあります。
たしかに今の日本に左翼政党はいません。立憲民主党の枝野幸男さんも、「右でも左でもなく前へ」と言っていた。まさに「エキセン」です。そりゃあ「コメ騒動」が評価されるわけない。
ただ、政党が「エキセン」ばかりになっても、地道に抵抗運動をしている人は世界にたくさんいます。「反対ばかりではよくない」「対立よりも中道だ」みたいな議論をしていると、結局は権力者にいいようにやられるだけです。
抵抗運動は決して無駄ではないし、歴史を前にも進めてきた。この本で取り上げた「サフラジェット」は、その実例なんです。
※3:コメ騒動は日本のシベリア出兵に伴うコメ商人たちの投機によって起こったコメの価格高騰に抗議した民衆運動。江戸時代の打ちこわしとは違い、コメ不足が原因ではなく、当時の政権や資本家に対する批判の意味が強かった。
構成/小山田裕哉
#1「暴力はいけません」と決めつけることに潜む“暴力性”を考える。「人口の3.5%が非暴力的な運動で立ち上がれば世の中は変わる」の欺瞞