鬼塚の“ありえなさ”を楽しむアトラクションドラマ

だが令和のいまとなっては、このような描写はフィクションのドラマのなかの話だとしても“ナシ”だろう。「こんな暴力教師ありえない!」と大炎上するか、「リアリティに欠ける」と興醒めされるか、どちらかに違いない。

そのため“令和脳”のまま『GTO』を観ると、悪い意味で気になることが多すぎて、まったく楽しめなくなってしまうかもしれない……が、ご安心を。

ハンマーで壁破壊や屋上から生徒吊り下げなど、鬼塚の行動がブッ飛び過ぎていて、ここまでくるともはやコントのように思えるため、コンプラがどうこうなんて気にならなくなって、むしろ痛快なのだ。

ちなみに、鬼塚は教頭が生徒をクズ呼ばわりすることにブチ切れたわけだが、着任初日、受け持つクラスの生徒たちと対面する前に、ヘラヘラしながら「どうせさ、どうしようもない悪ガキの集まりでしょ」と偏見まみれの放言を吐いている。

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生徒を「クズ」呼ばわりはダメで、自分は「どうしようもない悪ガキ」と決めつけるあたりにスタンスの矛盾を感じるが、このドラマを楽しむためにはこういう細かいツッコミどころを気にしたら負け。

『GTO』とは、反町演じる鬼塚の“ありえなさ”を楽しむアトラクションのような作品なのである。

余談だが、本作は反町本人が歌って作詞もしている『POISON~言いたい事も言えないこんな世の中は~』が主題歌となっており、『GTO』を思い出すと条件反射的にこの曲が脳内再生されるという人も多いはず。

筆者は、当時はそこまでいい歌だとは思っていなかったが、今回観なおしているうちに反町の独特な低音ボイスがクセになって、聴けば聴くほど名曲だと思えるように。中毒性もあり、気付くと毎回毎回あのイカしたギターイントロ待ちをしている自分がいるのに気づかされた。