早くも協会が
「森保監督の更迭なし」を宣言
日本は1992年の初出場以降、2024年までの9大会中4回のアジアカップ優勝を果たしてきた。これは出場国の中で最多の優勝回数だ。よって今大会のベスト8という結果は、W杯での優勝を目標に掲げる日本代表の期待や目標に沿う結果とはいえない。
だが大会後、日本サッカー協会の田嶋幸三会長は早くも「森保監督の更迭なし」を宣言した。では監督の変更を考えるべきタイミングはいつなのか。
筆者が考える、こうなったら終わりという基準は、「ピークを維持するようになったらその監督は終わり」ということだ。
日本サッカーの史実から紐解こう。そこには「日本社会の弱点」も内包されていると考えられる。
アジアカップとW杯の相関関係
通常だと、アジアカップが終わるとおよそ2~3年後にW杯がある。いってはなんだが、後者が「本番」だ。そして2000年以降の日本において、この両大会の関係性はひとつしかない。
「W杯でベスト16に入った大会(グループリーグで敗退しなかった大会)では、その前のアジアカップで優勝していない」という法則だ。
2007年アジアカップ
→ベスト4でサウジアラビアに敗戦→2010年南アフリカW杯でベスト16
2015年アジアカップ
→ベスト16でUAEに敗戦→2018年ロシアW杯でベスト16
2019年アジアカップ
→決勝でカタールに敗戦→2022年カタールW杯でベスト16
それはつまり、このようにも言い換えられる。
「W杯でグループリーグ敗退を喫した大会では、その前のアジアカップで優勝した」
2004年アジアカップ優勝
→2006年ドイツW杯でグループリーグ敗退
2011年アジアカップ優勝
→2014年ブラジルW杯でグループリーグ敗退
例外は2002年の日韓W杯(ベスト16、2000年アジアカップ優勝)のひとつだけ。ただサッカーの世界においては「自国開催」というのが、特殊な事情であるのはいわずもがなだ。
さらにいうと、W杯初出場を巡ってもがいていた90年代にもこれが当てはまる。1992年にアジアカップで優勝後、1994年のアメリカW杯アジア予選では「ドーハの悲劇」が起きた。逆に1996年アジアカップで伏兵クウェートに負けた後、翌年の98年フランスW杯予選を勝ち抜き、初出場を果たした。